つづきです

バウルの歌を探しに バングラデシュの喧騒に紛れ込んだ彷徨の記録 (幻冬舎文庫)

P138
 ・・・日本人にとってこの「グル」という言葉には、独特の怪しげなイメージが付きまとう。しかし、彼らのグル、という呼びかけに込められたニュアンスは、むしろ尊敬と敬愛だ。私たちが、先生とか師匠と呼ぶ時に近いかもしれない。ちなみにグルとは、サンスクリット語の闇と光を語源にする言葉で、闇の世界から、輝く世界に導いてくれる人のことである。
 ・・・
「ところで、バウルに弟子入りするということは、イスラム教徒をやめたことになるんですか?」
 ・・・
「バウルとイスラムは両立できますよ」
 彼は穏やかな口調で続けた。「バウルはいわゆる"宗教"ではありません。生きる道を教えてくれる"哲学"です。それに、バウルもコーランも、実は同じことを言っていると気づいたのです。例えば、正直に生きろ。嘘をつくな。生きものを大切にしろ。二つともまったく同じ話をしています!ムスリムコーランで勉強する。バウルはグルから聞く。そういう違いはありますが、その内容は、つきつめれば同じなのです。だからバウルにとっては、どの神様を信じるのも自由だし、それは重要なことではないのです」
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「・・・だって……人間はどのような宗教に生まれても、どんな家に生まれても、人間であることには違いはないのです。そう思いませんか。人間がみんな等しいものならば、その神様が同じでもいいし、違ってもいい。それが、バウルの教えそのものなんです」