直感のままに

フィンドホーンの魔法

すべて導かれている、というのは、たしかにその通りで…失敗も成功もそれは結果に過ぎず、すべて必要な経験のようです。
ここでは「何も聞こえないし、何も見えない、私にあるのは直感だけだ」と書かれてますけど、直感もビジョンもメッセージも、ただ受け取り方の違いだけで、同じこと…60年前の話なので、そういう認識のない時代だったのかも?

P55
「失敗だって?私はこれまで数えきれないほどの失敗をしてきましたよ。それらのすべては神によって導かれているのであって、神から私へのメッセージであり、それは私が学ばなければならなかったものです。私はこの共同体を強権を持って運営してきました。誰にも相談しませんでした。行動したくなった時、私は行動したのです。直感がやってきた時、委員会が賛成してくれるかどうかわかるまで待つことはできませんでした。私はいつもアイリーンのガイダンスを通じて確信を得ました。万事、それだけです。しかし、昨年、私は胆石の手術のため、一カ月の入院をしました。それはなぜか?私が今までのようなやり方でやっていくことはできない、そして共同体は私なしでもみずから運営することを学ばなければならない、ということを知るためだったのです。われわれは集団意識の時代に移りつつあります。それで私は個人としてではなく、グループと共に働くことを学ばなければならなかったのです」
 ・・・
「ビジョン?私はいちどもビジョンなんて見たことがありません。ガイダンスも受け取りませんし、何も見ません。声を聞いたこともありません。全然、何もです。
 一九五七年、私はその種の訓練の最終段階に達していました。まあ、一種の霊的な修行といってもいいでしょうな。その訓練を終了すれば、私もアイリーンが受けるものに似たような声を聞き、内なる導きを得るものと思われていたのです。その訓練を受けたのは、少数の、選り抜きのグループで、一人ひとり、念入りに選び抜かれたメンバーでした。そして私以外は、皆、この訓練をめでたく終了したのです。最後に私の番になりました。指定された日に、私は静かにすわって、その"内なるかすかな、そっとささやくような声"を聞こうとしていました。私は待ちました。その日まる一日待ちました。それから翌日になって、また八時間も待ちに待ったけれども、私には何一つ聞こえなかったのです!昼になると、先生がやってきて、"今、あなたには何か聞こえますか?今、それが聞こえますか?"と尋ねるのですがね、私はじっと椅子に腰をおろしたままで、首を左右に振るだけでした。私はそのまますわり続けなければなりませんでした。もうすわり続けるのは堪え難かったのですが、とにかくすわり続けましたよ。一日また一日、一週また一週と、すわり続けたのです。そしてみんなもついにあきらめたというわけです。結局何も聞こえない!私には一言も聞こえませんでした!
 私にあるのは直感です。何かをやりたいと感じると、私は直ちに実行します。自分の直感を私は決して疑いません。その時にはきちがいじみていると思えても、それはいつも正しいのです。後で振り返ってみて、はじめて、私の人生の中で、花開くあるパターンを発見するというわけです。・・・
 神はわれわれに、一度に、ほんの少ししか教えてくれません。さもなければ、われわれ人間の神経は、とうてい、耐えられるものではありませんよ。アイリーンはこの"光のセンター"に何千人もの人々が引き寄せられてくるであろう、という啓示を受けました。そこで、それは一体全体、どういう意味なのだろう?と、われわれは考えました。北海に面したこのごみ捨て場に何千人もの人がやってくるって?まあ、考えてもごらんなさい。ところが、今では本当に人々がどんどんやって来るのですからね」