大阪のおばちゃんペルソナ

教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか
こちらは如来寺住職の釈撤宗さん。
大阪のおばちゃんペルソナ、すごいつけてみたいです(笑)

釈 ・・・私、割といろんなところで「つらいときには大阪のおばちゃんを演じよう」って言っていまして。「大阪のおばちゃんペルソナをつけよう」などとお話するときがあります。

小出 大阪のおばちゃんペルソナ!なんだか迫力のあることばの組み合わせですけれど(笑)。

釈 大阪のおばちゃんっていうのは、内容よりも話の流れ重視なんですよ。とにかく話に乗るのがうまい。・・・愚痴を言ったり、悩みを相談しながら、泣いたり、怒ったりしている。でも、それを横で聞いていると、どんどん話が横滑りしていっているのがわかる(笑)。最後は「あはは」と笑って帰るとか。とりあえずすっきりするとか。もともとの問題は何も解決していない。なんなんだ、あれは、などと子ども心によく思っていました。でも、いまなら、これって人生の達人的スキルだなとわかります。
 ・・・解決しない問題を煮詰めていくんじゃなくて、横滑りさせていく。話している内容よりも、「語り」に自分の心と身体を添わせていく。そちらの方が、実は生きる力に直結していくんだなということを学びました。
 ・・・
 我々は日々、いろんなペルソナをつけて暮らしているでしょう。私の場合なら、僧侶のペルソナとか、教員のペルソナとか、父親のペルソナとか、息子のペルソナとか、いろいろなペルソナを使い分けて生きているわけです。精神分析では、ペルソナが分厚くなりすぎると、本来の自分が抑圧されて具合が悪いみたいなことを言うんですけれども、でも仏教は「本来の自分などない」と説くんですよね。ぜんぶペルソナじゃないかって。これは大変な知見だと思います。

小出 本来の自分なんてそもそもどこにもいないから、大阪のおばちゃんペルソナをつけたところでなにが損なわれることもないんだし、むしろ楽になれるかもしれないから積極的につけようよ、っていうことですね(笑)。軽やかですね。