実有から仮有へ

教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか
色の世界のことはかまわなければいい、読んでたら「なんくるないさ〜」って聞こえてきました(笑)

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堀澤 枠の中にいる限り、人間の発想の仕方っていうのは、どうしたって損得打算に縛られ続けてしまう。生物っていうのは、みんな自己保存の本能があるから生きているという事実があるんだ。それがなければ死んでしまいますよ。あるいは滅びちゃう。それが生命なんだな。自分だけが良ければいいなんていう考えはけしからんと思ってしまうけれど、それは生命としては、ある意味当然なんだね。・・・「色」(実有)の世界は相対関係だから。そこには「自」と「他」っていうのがかならずあるわけだ。だからその世界で好きなものを手に入れるとなると、我勝ちに取ろうとするんだね。取るものがなくなったら、相手のものを奪う。・・・そこから出なければ、争いを根本的に止めることはできない。
 お釈迦さまの出家の動機もそこにあったんだよ。人生は「苦」だと。生老病死、どれを見ても「苦」だと。こんな「苦」の中に生きている人間っていったいなんなんだと。・・・そういう大疑問を持ったところから彼は出家していったんでしょう。そして最終的には見事に解脱した。菩提樹の下でさとったときは、お釈迦さまは、生老病死を苦しまない人間になっていた、ということだね。

小出 生老病死それ自体は、いくらお釈迦さまでもあるんですね。でも、一度「空」を通ったのちは、もうそれが問題にならなくなっていた。

堀澤 そういうこと。肉体を持つ人間として、生老病死そのものから逃げることはできません。だけど、自分のこの肉体というものを「実有」として見ていたものが、空を通ることによって「仮有」として見ることができるようになった。そうすることで、彼は完全に枠の外に出たんだね。だから、生老病死、あってもかまわない、と。そういう心境になった。だから我々もお釈迦さまにならって「色」の世界のことはかまわなければいいんだよ。