自分の中の世界に気付く

幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当:本当にあった! こんな会社~規則も命令も上司も責任もない!

ここも素敵だな〜と思いました(^^)

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「おふくろさん弁当では、物事をどうやって決めているんですか?」と、視察や見学に来た方々から、質問されることがある。
 一言で言うと「決めていない」ということだと思う。またこんなことをいうと、「決めてないのに、なんでお弁当が出来て、配達して、会社として成り立っているんだ。おかしいじゃないか」と叱られるかもしれない。
 ただ、実感としては、何かを「決めている」という感覚ではないということだ。
「私は、こうした方がいいんじゃないかと思う」
「僕は、こっちの方がいいと思う」
 と、意見が食い違うことはいくらでもある。
 でも、それぞれに「自分の感覚だ」「自分の中の世界のことだ」という自覚があれば、意見が違うなんてことは、大して問題にならないのだ。逆に、相手がなんでそう思うのか、相手の世界に興味関心が湧き、話しを聞いてみたくなるだろう。
 よく、「意見が食い違うから対立が生まれる」とか聞くが本当にそうだろうか?
 意見が食い違ったって対立しないなんてことは、いくらでもあるし、そもそも生きてきた過程も環境も違うのだから、意見が食い違うなんてことは当たり前で、そちらの方がごく自然だ。
 問題は、意見が食い違うと「話し合えなくなる」ことの方にある。
 ・・・
「人は意見が違って当たり前で、それぞれその人の中の世界がある」こんな当たり前のことが、当たり前に自覚されてくると、「人を責める」必要もなくなってくる。
 ・・・
 ・・・「なんで、こういう反応になるのかな?」と、面白く自分の内面を観察する文化が醸成されるにつれ、社内の人と人のあつれきといったものが、ゆっくりと、でも確かに氷解して行ったのだ。それはあまりにゆっくりと静かに訪れた「革命」だったために、目立たなかったが、社内の空気から「責める」「やらせる」が消えた、一大革命だったのだと思う。