「規則も命令も上司も責任もない!幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当」という本を読みました。
感動というか、癒されるというか、こんな会社が存在するんだという喜びでいっぱいになりました(^^)
P152
小さな弁当屋ですが、人類にとっては、ひょっとすると大きな一歩となる会社かもしれません。
と書いてありました。ほんとにそう思います♪
ぜひ一度、見学に行きたいです。
また印象に残ったところを書き留めます。
P40
たとえば、「ご飯を入れる量が少ない」と、他のスタッフがご飯入れ担当に言ったとする。するとご飯入れ担当が気分を害した。というような事例が、創業初期にはよく起こった。
言い方が悪かったとか、その程度で怒るのが悪いとか、すぐそういう話になりがちだし、世の中にはそういった人と人との摩擦を減らすための対処的な本や情報に溢れている。
それだけ、社会の大きな問題になっているとも言えると思うのだけれども、処世術的な解決で、そのことを緩和しようということばかりに気を取られて、根本的に「何が起きているのか?」「どこがどうなっているのか?」といった研究が遅れており、本質的な解決になっていないのだろうと思う。
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でも、人と人が話し合う時に、その障害となっているものをハッキリと認識し、取り除くことで、話し合いが実現してくるだろう。
相手の言葉を聞いたり、行動を見て、たとえば怒りや、嬉しい気持ちや、色々な反応が出るまでの、0.何秒といった時間のことかもしれないけど、自分の中で何が起きているのか、良いとか悪いとか、評価を付けずに、まずは見てみる観察してみる。そんなところから始めてみた。
すつと、面白いことがたくさん見えてくる。
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相手が「ダメだ」と言ってなくても、「非難」してなくても、そう聞こえるカラクリ。「自分がそう受け取ったのか!?」とちょっと見えてくると、びっくりしたりする。そして「ダメだと言われた」という、自分の受け取り方に対して、怒ったり、気分を害したり、落ち込んだりといった反応をする。言ってみれば、自作自演の「自分劇場」なのだが、すごいスピードで流れる日常生活の中では、なかなか一つ一つを丁寧に見ていく時間もないし、元々そういう経験も少ないので、初めはちょっと慣れないので時間もかかるし、自分の中に辿り着かないことも多い。
でも「自分劇場」に終始している間は、「相手がこう言ったから怒ってるんだ」と、相手のことが分かるというのが前提で、「自分がそう思った」が抜け落ちてしまうから、相手が「何を伝えたかったかな?」とか「相手の気持ちはどうだったかな?」となりにくい。
どうも、「話し合いにならない原因は、この辺りにありそうだぞ?」と思い始めた。話し合いをするには、まず「話し合いのできる人になる」ことが先決で、話し合いの場を持ったりすることは、その次の段階だということが見えてきた。
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「今日は休みたい」と言ったスタッフに対して、「急に休んで迷惑をかけられた」と思って憤慨していたスタッフも、その自分の中身を見てみると、「本当は自分も休みたいけど言えない」とか、「仕事を休むなんてもってのほかだという私の価値観」が、自分の中にあることに気付いてくる。
「そっか、自分の価値観なんだ」「自分も休みたいって言いたかったのかあ」と、どうするかではなくて、その自分の気持ちを見つけられるようになると、責める気持ちがなくなったり、急に休んだスタッフは「どうしたのかな?大丈夫かな?」という気持ちが湧いてきたりするようになった。