着ぐるみを脱いだら…

生きるのが楽になる 「覚り」の道の歩き方 「一元」に触れる京都大原三千院の読経CD付

ここも、そうなのだよなぁ…と思いながら読みました。

P98
 もしみんなで自分という着ぐるみを脱いだとしたら、そこにあるのは同じ一つのもの。
 人間だけでなく、ありとあらゆる生命も、物質も、全く同じ一つの「空」の現れなのです。
 これも「空」、あれも「空」、たぶん「空」、きっと「空」。
 この「空」という言葉を「愛」に置き換えると松坂慶子さんになってしまうけれど、「空」と「愛」は同義語だと思います。
 それは自らの体験でも明らかで、自己が「空」の中に消えたとき、それは「愛」としか呼べないエネルギーそのものだったからです。

P156
堀澤 そう、覚りをニルヴァーナ、涅槃というけれども、みんな、もうニルヴァーナにいるんだからね。
 分離意識があるから、「私ごときはまだまだ」って卑下して、覚りを求めてしまう。ワンネスを生きていれば、自分を卑下することなんてできないわけだ。それは全体を卑下すること、天下の仏や神々をも卑下することになるわけだから。

阿部 いろんな経典や教えが、仏や覚りをあまりにも偉大なものだと、我々に印象づけてきたと思う。それによって、「それに比べて自分はまだまだ」って思わせてしまう、その仕掛け自体がさ、やはり不健全だよ。
 もうそれを壊す時代に来たんじゃないか。だって、釈迦なんて何も持っていなかったんだもん。大きな伽藍も何も。