ソーシャル・ビュー

目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)

 この本の中に、見える人と見えない人が対話しながらアートを楽しむ、ソーシャル・ビューという鑑賞方法が紹介されていました。

P158
 通例、・・・鑑賞は個人的で内向的な経験になりがちです。しかしこのワークショップでは、積極的に声を出してグループの仲間とやりとりをしながら作品を鑑賞していきます。人と関わりながら見る。だから「ソーシャル」な「ビュー」というわけです。
 注意してほしいのは、それが決して、「見える人による解説」ではないこと。・・・あくまで「みんなで見る」という「ソーシャル」としての経験がそこにはあります。

P164
 「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」の林さんは、ワークショップを始める前に参加者にこう説明します。「鑑賞するときは、見えているものと見えていないものを言葉にしてください」。「見えているもの」とは、文字どおり目の前にある、たとえば絵画の大きさだとか、色だとか、モチーフなど。ひとことでいえば「客観的な情報」です。「見えていないもの」とは、その人にしか分からない、思ったこと、印象、思い出した経験など。つまり「主観的な意味」です。・・・

P185
 障害者が優れていると言いたいわけではありません。重要なのは障害が触媒として、人びとの関係を変えることです。林さんは言います。
「見えていることが優れているという先入観を覆して、見えないことが優れているというような意味が固定してしまったら、それはまたひとつの独善的な価値観を生むことになりかねない。そうではなく、お互いが影響しあい、関係が揺れ動く、そういう状況を作りたかったんです」
「特別視」ではなく、「対等な関係」ですらなく、「揺れ動く関係」。ソーシャル・ビューが単なる意見交換ではなく、ああでもないこうでもないと行きつ戻りつする共同作業であるからこそ、お互いの違いが生きてくるわけです。
 変化は見えない人の中でも起きます。白鳥さんは美術鑑賞を通して「見る」ということについての考え方が変わったと言います。・・・
「見えていても分からないんだったら、見えなくてもそこまで引け目に思わなくてもいいんだな、見えている人がしゃべることを全部信じることもなく、こっちのチョイスであてにしたりしなかったりでいいのかな、と思い始めました」
 ある意味で、見える人も盲目であることを、白鳥さんは知った。障害が、「見るとは何か」を問い直し、その気づきが人びとの関係を揺り動かしたのです。

視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップは、こちらのHPに載ってます→http://www.ableart.org/
こちらのサイトには、また別の所で行われている様子が紹介されてました→http://www.dreamarc.jp/archives/2080/