見方を変えて楽しむ

目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)

 こういう姿勢でありたいな♪と思いました。

P193
 難波さんは、自宅でよくスパゲティを食べるのでレトルトのソースをまとめ買いしています。ソースにはミートソースやクリームソースなどいろいろな味がありますが、すべてのパックが同じ形状をしている。つまり一人暮らしの難波さんがパックの中味を知るには、基本的に開封してみるしかありません。ミートソースが食べたい気分のときに、クリームソースがあたってしまったりする。
 ・・・でも難波さんは、これを単なるネガティブな状況とは受け取りません。食べたい味が出れば当たり、そうでなければハズレ。見方を変えて、それを「くじ引き」や「運試し」のような状況として楽しむのです。「残念というのはあるけど、今日は何かなと思って食べた方が楽しいですよね。心の持って行き方なのかな」「『思い通りにならなくてはダメだ』『コントロールしよう』という気持ちさえなければ、楽しめるんじゃないかな」。
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 難波さん以外の視覚障害者からも、・・・たとえば「回転寿司はロシアンルーレットだ」という説。お寿司には香りがほとんどありません。見えない人は、目の前を通過する寿司が何のネタかを確認することができないのです。もちろん、お店の人に頼んで食べたいものを握ってもらうこともできます。
 でも、その状況をあえてゲームとして楽しむこともある。まず皿をとってみて、食べてみて、何のネタかを当てるのだそうです。同様の見方をあてはめれば、自動販売機もおみくじ装置と化します。何が出るか分からないままボタンを押してみる。手軽に「今日の運勢」を試せます。
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 第一章で、見えない人は「道」から相対的に自由だという話をしました。健常者は、製品やサービスに埋め込まれた使い方におのずと従ってしまいます。そんなまじめなユーザーを尻目に、見えない人は決められた道をかわしていきます。「こっちの道もあるよ!」―何だか先を越されたような気分さえ感じます。