ヤマザキマリさんの「とらわれない生き方」を読みました。
キャラが違いすぎて圧倒される部分もありましたが(^_^;)かっこいい人だナと思いました。
また印象に残ったところを書きとめておきます。
P18
・・・ここで大切なのは「マザー」の存在です。私の中には常にもうひとりの自分がいるんですが、そのもうひとりの自分のことを「マザー」と呼んでいます。心の核に存在する、ゆるぎない自分という感じでしょうか。分かりにくければ「自分観音」と呼んでも構いません。
自分を幽体離脱のように、遠くの視点から客観的に見て「私の軸、マザーはこれがやりたいんだ」と把握し、「じゃあ、肉体である私はその分働くから」と動く自分がいる。マザーは「何があっても大丈夫だから、やっておいで」と、働く私を送り出してくれる感じです。そこがブレないからこそ、生活のための仕事に吸収されてマザーを見失ったことは、今まで一度もありません。
P33
客観的になれるかどうかには、想像力が必要になりますよね。想像力があってこそ、もうひとりの自分の存在が見えてくる。ただ、マザーは誰の中にもあります。気づいていないとすれば、それと向き合ってないからです。「形があるものとして見えてくれないと困る」「肉体がなきゃ見えない」などと、言ってちゃいけません。見えているもの、言葉をしゃべる人、あちらからアプローチしてくるものだけが、あなたを救ってくれるのではないということは、知っておいてほしいです。
P57
大きな野望ではありませんが、私は毎日「〜したい」だらけなんです。温泉行きたい、ブラジル行きたい、ご飯食べたい、今日は天気がいいから外に行きたい、仕事休みたい、とかですけどね(笑)。嫌な目に遭って疲れたときでも、「うわー!あんなものやってみたい!」というハッピーな欲望のほうが勝ってしまう。
人は基本的に自由です。そして私は、自由を謳歌したい。いろんなところに行って、いろんなことをやってみたい。自分自身を規制したくないですね。「〜したい」という自分の中の渇望は、何も大したことではない。お腹がすいたら食べるしかないじゃない、というのと同じこと。
我慢したり、目を背けなくてもいいんですよ。勝手にあきらめたり、とらわれたりせずに、自由に動いてください。あなたにも、あなたをたくましく見守る「マザー」がいるのですから、大丈夫。