タイトルにひかれて、読んでみたくなりました。
伊集院静さんのエッセイ集です。
価値観とか知ってる世界があまりにも違って、面白かったです。
こちらはお金について書かれていたところ。
P181
私はこれまで金がなくて、何日か先まで飯が食べられないとか、友人に逢いに行く電車賃がなかったようなことはあったが、それでも自分が貧乏の泥沼に嵌り込んでいると思ったことは一度もない。
二十歳代の初めから、借金だらけの人生をずっと続けてはいるが、そのことで卑屈になったり、悲嘆に暮れたことはなかった。
首が回らない時に、無理矢理首を回して金を掻き集め、一発逆転を狙って競輪場へ行き、最終レースが終わってみるとスッカラカンというようなことは一度や二度ではない。そんな時、同行の輪友に、
「オイ、大丈夫か?ヤケに明るくなっているが、どこかから飛び込むなんてのはやめてくれよ」
と言われても、そんなことは微塵も考えたことがない。
ツケが溜り過ぎた酒場へ行き、
「あなたっていう人は金もないのに、よくこんなに豪勢に遊べるわね。ちょっと、まさか……、今夜、首でも吊るつもりじゃないでしょうね」
とホステスさんに言われたことも度々ある。それでも平気でやってこれたのは、私が元来、楽天的な性格であるのと、体力があったからで、
―いざとなりゃ、工事現場でもどこでも行って、一から出直せばいい。
と思っていたからだろう。
P187
中途半端が一番イケナイのだろう。
遊んでいないと金の出入りが緩くなる。ぼんやりした金は、相が良くない。
人相があるように、金相もあると、私は考える。
悪い金相の金は一点から動かず、放って置くと卑しいものになる。
金持ちが蔵の中や、隠し金庫に入れている金が、この類である。
それに比べて、貧乏人の金は清々しいところがある。動きも良くて、ひとつところに長居をすることがないから、特定の人の手垢がついてない。皆の金という相をしている。