大人気の妖怪ウォッチのお話にかぶるような、こんなことも書いてありました。
P174
念とは電波のような波動であると考えるとわかりやすいかと思います。発信体の攻撃的な念の波動が受信体に共鳴すると、その念は増幅されます。
「なぜあのとき、あんなことをしてしまったのだろう」
「取り返しのつかないことを、どうして言ってしまったのだろう」
という後悔の念を抱くことは誰にもあることでしょうが、そんなとき私たちは「魔が差した」と言います。これは何者かに自分が一時的に支配されてしまったという告白です。つまり“魔の波動に自分の波動が同調してしまった”ということなのです。“低級霊に一時的に憑依された”といってもいいかもしれません。
じつは、私たちの念の波長は一分一秒ごとに三六〇度あらゆる方向へ向かう可能性を秘めています。そんな波長を私たちの心が一定の方向へと制御しているのです。ところが、心が乱れて安定を欠くと、その制御する力が弱くなり、念の波長があちこちに向かい始めます。このとき、たまたまそれに乗じた低級霊の念の波長と共鳴してしまうと、その影響下に置かれる危険があるのです。これが“魔が差した”状態であり、最悪の場合は罪を犯すことだってありえます。
・・・五郎兵衛さんは、・・・怒りと妬みを“地球人の特質”として挙げています。こうした念の波長こそ、下位の邪霊のもつ波長と同調し、それらにコントロールされやすい状況を作ってしまうのでしょう。
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P177
明るくてきれいな念が自分を支配するように、そして常に自分を浄めるようにコントロールしていけば、つまり魂の品格を高めるように生きていくならば、暗くて汚い念の波長に共振することもなく、現界への執着心に悩まされることなく、きっと天国行きのチケットをもらえるにちがいありません。
五郎兵衛さんの言葉を借りれば、「現界は霊界へ行く準備期間なのじゃ」なのでしょう。