こんなこともあるんですね

結婚してみたら奥様は「超霊媒」だった! (コスモ21不思議文庫)

上丘家に小さな狐霊が現れた、というお話です。

P96
 一九八六年の夏、小さな狐霊がわが家に現れました。“北国のきれいな湖の泡から生まれた(本人談)”ばかりの狐霊を、五郎兵衛さんが私に預けたのです。
 奇しくもお盆の迎え火の日である八月一三日にやってきたので、私は、その小さな狐霊に『十三丸』と名付けました。そして、その日から今日まで、十三丸は私たちといっしょに暮しています。
 十三丸は、私たち夫婦に子育ての疑似体験をさせてくれたところもあって、私とユウコのいわば“かすがい”になっています。
・・・
 普通、狐霊は神様の下で修行を積んでから眷属として働きますが、十三丸は生まれてすぐ人間(私とユウコ)に預けられました。これは“前代未聞”のことであり、じつは五郎兵衛さんの実験、テストケースであるらしいのです。
 十三丸の世界での成長とは、“魂がいかに磨かれ輝いていくか”の一点にかかっています。人間のように、一年経てば一つ年を取るのとは違い、時間の経過は関係ないのです。そうして、魂が磨かれていけばいくほど、視覚的には霊としての体積が大きくなり、輝きも増していくようです。
 じつは、そのような十三丸の成長の責任は私にあるようです。私の魂が大きくなる、すなわち魂に品格が備わっていかないかぎり、十三丸の成長もないようなのです。ですから、折にふれて十三丸は元来怠け者の私にこう言います。
「お兄さんが僕を見捨てたら(つまり私が堕落するようになったら)、僕はいつでもおじいさん(五郎兵衛さん)のところへ帰るからね」

 そしてこの部分も興味深く読みました。
P99
 普通“霊界”といったら死後の世界を意味しますが、本当はそれは霊界の一面にすぎません。この世である“現界”もまた、霊の世界であると言って過言ではないのです。
 私たちの使う携帯電話やテレビ、ラジオの電波・電磁波が空中を飛び交っているのと同じように、さまざまな霊が交差するなかで私たちは暮らしているのです。それに、いま生きている私たち自身だって霊の存在ですから、この世も立派な霊界といえるのです。
 この“現霊界”(とでもいいましょうか)で人間に大きな影響力をもつのが、神の使いといわれる眷属の霊です。そして眷属のなかでも、狐霊はもっとも人間界に近く、人間を導きながら自らも修行して、神の領域に近づいていくといわれています。