ゆるいというより、どっしり?

ゆるキャラのすすめ。

ゆるキャラというと、ほわ〜んとした雰囲気を連想しますが、この部分を読むと、とても地に足が着いた考え方というか、どっしりという印象でした。

P66
 僕にとってノーヒットノーランは、大した関心事じゃなかった。少なくとも、僕がノーヒットノーランを達成した1997年9月2日の横浜ベイスターズ戦では、僕の個人的な記録より、チームの勝利のほうが重要だと考えていた。
 1997年のペナントレースで、僕が所属していたヤクルトスワローズセ・リーグで優勝し、続く日本シリーズでもパ・リーグの覇者、西武ライオンズを破って日本一の座に就いている。
 終わってみれば素晴らしいシーズンだったけど、それは結果論。セ・リーグ2位で終わった横浜は、シーズン前半こそモタついたものの、7月、8月と上り調子で勝ち星を伸ばし、9月2、3日の横浜対ヤクルトの2連戦を迎えたときには、首位ヤクルトとのゲーム差が3.5にまで肉薄していた。つまり、この直接対決の結果次第で、優勝の行方がわからなくなってしまう可能性があった。
 だから僕は、あの試合で絶対にチームを勝たせたかった。そして試合が終わったとき、ノーヒットノーランよりも、大事な試合に勝てたことのほうに達成感をおぼえていたんだ。
 ノーヒットノーランはピッチャー個人の記録でしかない。それよりも「大切な試合でチームの勝利に貢献できる選手」「ここぞという局面でチームを勝利に導いてくれるピッチャー」という信頼を獲得することのほうが、僕にとってははるかに大切なものだった。
 歴史に名を残す、なんて言葉があるけど、僕は別に残したいとも思わない。個人で名前を残すような名誉に興味が持てない。それよりも、粛々と目の前の試合に臨んで、勝ち星をひとつひとつ重ねていくことに集中したいし、勝利の喜びはチームメイトと分かち合いたい―そう考えて、選手生活を送ってきた。・・・
 ・・・
 ・・・今日が終われば、その日にあった良いことも悪いことも、すべては過去の出来事。明日はまた別の日なのだ。そもそも僕は、いつまでも思い出に浸ったり、過去の栄光を引っ張り出されてチヤホヤされたり、昔話に花を咲かせたりするのが好きじゃない。

 この話は、第2章〝オトコ気”は要らない、という中に書いてありました。つまりやせ我慢的な無理な頑張りやかっこつけは必要ない、という内容なのですが・・・、ここに書いてあるような姿勢は表に出にくい(表面的にはノーヒットノーランを達成したのにあんまり喜んでない変わった人に見えてしまう)ので、誤解されやすかっただろうなー・・・でもそんなこと全然気にしてなかったんだろうなー・・・と思いつつ読みました。