存在理由について

ラムサ ホワイトブック 改訂版

ここも、フムフム、と思いながら読みました。

P261
 誰もが、自分には何らかの存在理由がなければならないと思っている。彼らは私に言う。「おお、マスターよ、ここでの私の運命は何でしょうか?この人生での私の目的は何でしょうか?私がここにいるからには、何かそれなりの理由があるはずです」と。そこで私は彼らに言うのだ。「生きることだ」と。すると彼らは、とても困惑し、あまり幸せそうな顔はしない。というのも彼らは、何かとても手の込んだ計画、すなわち、まわりで鳥たちが歌う中、黄金の光に包まれた自分が高い山よりもさらに高くそびえ立ち、人類の救世主となる、というような話を聞けるのを待っていたからだ。
 マスターよ、あなたの目的とは、ただ単に生きることだ。それから先、あなたが何をしようとも、それはつねにあなたの美を深め、生命全体のさらなる拡大へと貢献することになる。・・・そして自分がここにいるのは、自分がここにいることを望み、ここにいたいからだと気づいたとき(つまりこの場所に戻るのは自分自身にとって嬉しいことなのだと気づいたとき)、ほかのすべてのことは自ずと理解できるだろう。

P264
・・・あなたの存在の内にある生命力は、この人生を体験することで学び、この人生から幸せを得るためにここにいるのだ。あなたは、自分が高次元の存在で、ほかの場所からここにやって来たはいいが、結局はここがつらい場所だとわかっただけであった、というふうに思っているのか?高次元の存在ならば、自分がどこにいようとも幸せを見つけるものだ。
 この天界が困難な時代を迎えるとき、ほかの場所に行くことを考えるのは楽しいことかもしれない。というのも、そう考えればここでの人生も少しは耐えやすくなるからだ。だが、われわれは最終的には、自分がどこにいようとも、それをどんなものにするかを決めるのは自分なのだ、と気づくことになる。