「共創」と「協働」を目指す、と読みながら、大谷翔平さんがMVPトロフィーをチームの成果としたことを思い出しました。
P23
ファイヤアーベントの『方法への挑戦』とガダマーの『真理と方法』は、いずれもトップダウン式のシステムを否定するという点が共通している。社会集団のなかで個人が各々の信念に従って行動しつつ、コミュニケーションを通じて互いに討論を重ね、納得し合い、対人関係を構築することを強調している。
こうした哲学的概念に触れたことは、青少年期のオードリーにとって大きな糧となった。唯一の正解を求める直接的な教育システムのなかで育ってきたオードリーは、この世界に正しい答えを知る者など誰もいない、「誰もが自分にとっての正しい答えをもっていていい」のだと深く悟った。
同時に理解したのは、「問題解決の責任を一個人に負わせない」ことの重要性だ。将来、新しい壁にぶつかっても、その重責は自分一人の肩にかかっていて、なんとしても自力で解決しなくてはいけないと考える必要はない。この考え方は、その後のネットワーク社会における対人関係にも当てはまる。問題にぶつかったときは、みんなでアイデアを出し合い、責任を分担して「共創」と「協働」を目指せばいい。成功とは一人で成し遂げるものではなく、大勢が力を合わせて解決の道を探ることなのだ。
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「別の言い方をすれば、ヒーローへの幻想を捨てることです。ある特定の分野に力を捧げることは、ずば抜けた才能を持つ一部の人だけにしかできないわけではない。競争より共創という考えにより、直線的な教育の束縛から逃れることができました」
P67
オードリーは詩を読んできたことで、プログラムを書く際にも複雑な意味をより簡潔に表現できるようになった。子どものころから異なるジャンルの古典を読み、さまざまな価値観に触れてきたことで、いろいろな観点から物事を見る方法を学んだ。
「ある事柄が、いいことなのか、悪いことなのか。絶対に正しい観点というものはありません。すべて、あなたの価値観次第なのです」
オードリーにとって、金庸の小説のなかで最も印象深いのは『倚天屠龍記』(徳間文庫)のある一場面だという。武当派の開祖である張三豊が、1年半の修行を経て生み出した太極剣法を張無忌に伝授しようとした際、敵である方東白は、技を盗み見る機会を自ら回避しようとした。張三豊は方東白に言う。「わしの剣法は完成したばかりで、使いものになるかどうか、まだわからぬ。剣術の名人である閣下に見ていただいて、技に欠点があれば指摘していただきたい」
張三豊の思考は、幼いころのオードリーに大きな影響を与えたという。小説に出てくる武術の大家たちの誰もが必死で隠そうとする武術の極意を、張三豊はおおっぴらに披露し、相手が敵であっても喜んで分かち合おうとする。敵に技を盗まれることなどまったく恐れていない。極意を知る者が多いほど、それを役立てる者も増えるからだ。
勝ち負けを競うより分かち合うことを重視するオープンイノベーション的思考は、その後のオードリーがあらゆる場面で「共創」を強調する根拠になっている。
多様な価値観を育むことには、どんな状況に直面しようと、柔軟に対応できるようになるというメリットがある。一つの価値観にとらわれ、「この考えが絶対に正しい」と思い込むことがなくなるからだ。「世界にはこれほど多様な価値観があると知れば、むしろ安心できます。もし、世の中に正しい価値観がたった一つしかなかったら、その枠内では対応しきれないことが必ず出てくるでしょうから」
P120
オードリーのもう一つの時間節約術は、フェイスブックに関するものだ。
彼女もフェイスブックを使っているが、そのホームページはとてもすっきりしていて、広告がまったく表示されていない。・・・一体、どんな手を使ったのか?
フリーソフトウェアのプログラマーであるオードリーにとっては、実に簡単な話だ。自分のブラウザに「FB feed eradicator」という拡張機能をインストールすると、フェイスブックのインターフェイスが消えて、代わりに偉人の名言が表示される。・・・フェイスブックがオードリーのデータや履歴を集めることはできなくなり、アルゴリズムに監視され、広告で感情を操られることもなくなる。
P136
心ない言葉を受けたとき、人はつい反撃したくなるものだ。怒りや侮辱を意味するスタンプを送りつけ、自分が傷ついた分だけ相手も傷つけてやりたくなる。しかし、ネット上で飛び交う言葉はやがて外へとあふれ出て、多くの人の目に触れる。不愉快なやりとりは当人たちだけでなく、見ている人たちをも不愉快にする。
オードリーのやり方はこうだ。マイナスの感情はいったん置いておき、気分が変わるようなことをする。なるべく心地よい体験がいい。美しい音楽を聴いたり、ヨガをしたり、飲んだことのない味のお茶を試してみたり。マイナスの感情から抜け出すと同時に、新たな記憶を自ら植えつける。そうすると、次に不愉快な思いをしたときに、美しい音楽やおいしいお茶の記憶が呼び覚まされ、負の感情が明るい記憶へと変換されるのだ。
そのときの感覚を彼女は、「ディズニー映画『インサイド・ヘッド』で赤のボールがゆっくりと黄色に変わっていくような感じ」と表現する。・・・
いつもとは違う感情がわいたときはまず、心のなかにその感情の居場所を作る。感情と冷静に向き合えるようになるまで一定の期間、共に生活するのだ。感情が落ち着き、客観的に話せる状態になったら、ネット仲間に話を聞いてもらう。この方式を「小白〔訳注:無神経なコメントをするネットユーザーのこと〕とハグする」と呼んでいる。
P203
オードリーが「子どもたちを『役に立たない人』に育てたい」と言う理由はここにある。
「役に立たない人になる」とは、あまり早くから特定の「用途」で自分を定義しないほうがいいという意味だ。学ぶ人を「モノ扱い」してはいけない。人は人であって「モノ」ではない。自分を道具とみなし、それにふさわしい技能を習得しようという考えは間違っている。
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人が「モノ」のように扱われ、特定の機能のみで判断される場面は多い。その機能が時代の変化によって淘汰されたり、自動化されたりすれば、大きな挫折を味わうことになる。学びの動機が自分のなかからわき上がる興味ではなく、外から押しつけられたものだからだ。
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オードリーが「役に立たない人」を育てるべきだと提唱するのは、何もできない人を生み出せという意味ではない。人は機械ではないのだから、自分に特定の「用途」を見いだす必要はないという意味だ。つまり、機械学習の結果を「人工知能」と表現するのは妥当ではないと考えている。いわゆる「機械学習」とは、単に既存のデータから選択肢、経験に沿って判断するだけのプログラムだからだ。
しかし、人間の思考とは単に経験をなぞるだけのものではない。・・・
P277
この時代、価値の方向性は変わりつつある。まずは「与えること」が基本になっているのだ。たとえば、今の若い世代は気候変動などの問題に対し、「新たな循環経済を生み出すためにどれだけ尽力できるか」といった視点から自分の価値を見いだしていく。「どれだけ所有するか」ではなく、「どれだけ与えられるか」という視点で考えるようになっている。
「与えること」から始めることで、より多くを手に入れられるとオードリーは考えている。・・・
P283
Q5 以前「4、5回ほど起業してから、初めて起業の仕方がわかった」と言っていましたね。起業する人にアドバイスはありますか?
A あります。できる限り顧客を自分の「パートナー」にすることです。これは私がのちに学んだことです。
かつて、アイデアとは特許のようなもので、あなたのアイデアを実行できるのはあなただけ、それがぴったりとはまる市場を自ら探していくというものでした。でも今は違います。あなたのアイデアは兵法でいうところの「レンガを投げて玉を引く」、つまり、拙い意見を叩き台に価値ある意見を引き出すためのものです。アイデアを批判したり否定したりする人がいたら、その人を仲間に引き込み、一緒により優れたアイデアを考えるのです。かつて、顧客はあなたの製品を通じてしかあなたを知れなかった。でも今は、あなたを知る方法は多種多様です。製品を通じてあなたのやりたいことを知った顧客は、製品ではなくあなた自身の価値を認めてくれるはずです。
そうなったとき、その人はきっとよりよい製品やサービスを考えるヒントをくれたり、クラウドファンディングやクラウドソーシングといった形で協力してくれたりするでしょう。現在、こうした手法が盛んになっているのは、特定の製品ではなく、一緒に何かを成し遂げることにこそ価値があるとみんなが認識しているからです。
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Q14 以前、あるメディアで「Full-width space」の話をしていましたが、これは物事の見方についての言葉でしょうか?
A 「Full-width space」とは「全角スペース」のことです。私は昔から、人を「自分に似ている、似ていない」で分けたり、政党を「自分に考えが近い、近くない」で判断したりはしません。「全角」とは「半角」と対比しての表現です。頭のなかであらゆる物事を二分して考えていては、自分の認識を狭めてしまいます。できる限り「全ての人の側に立つ(take all the side)」ことを心がけ、大きな枠で物事を捉えたいと思っています。
