いろんな国の自炊の姿、興味深かったです。
P15
日本という島国から出てみると、世界の自炊は想像のはるか上をいく面白さと適当さが広がっていた。そして自炊を自由にしようとしている私から見ても「それもありなの⁉」と驚かされる発見や工夫が、ゴロゴロ転がっていた。
P180
スペインで地元の人たちと二週間を過ごしてみて、彼らは味に保守的で自分の食べ慣れたものが好きな人が多いなという印象を受けた。
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家庭でも毎週作っているような定番の料理が多く並び、作り慣れているがゆえに料理に関する悩みもほとんど聞かなかった。日本では定番料理を作り続けることにマンネリを感じる人が一定数いるが、スペインではそう感じる人が少なそうな理由はどこにあるのだろうか。
考えられる第一の要因は、食に対する価値観の違いだ。
スペインでは、料理の味そのものより、家族や友人とゆっくりと話しながら食事をとることが重要視されているように感じた。・・・
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スペイン人と一緒にいると、たくさんおしゃべりして、ゆったりと時間が流れ、一日が半日くらいの感覚で終わってしまう。食の選択肢を増やさずに作り慣れたものを食べ、人と過ごす時間を大切にし、無理をしない。彼らの生活には幸福に生きるヒントがたくさん詰まっているように感じた。
P211
今日の料理が野菜だけなのには理由がある。ジュリエットさんはベジタリアンなのだ。ベジタリアンになった理由を聞いてみると、次のように返ってきた。
「六年前に体調を崩した時があり、その時から肉を食べるのをやめました。おばあちゃんの得意な魚料理は好きで、今でも少しだけ食べることがありますが、ほとんどベジタリアンの生活(乳製品・卵はOK)です。元々野菜が好きでしたし、何よりも、自分の体が肉を必要としている感じがまったくしなかったんです。
それから肉を食べなくなると経済的であることに気づきました。ロシア・ウクライナ戦争の後からフランスでは肉や魚の値段が倍くらいに上がってしまい、一人前の肉を買うと五ユーロくらいかかります。・・・でも、トマトであれば五ユーロもあれば一キロ以上買えてしまうので、経済的だなと思います。・・・
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フランスで出会った人の半分以上がベジタリアンか、肉・魚は週に一度という生活を送っていて、国民の意識が本当に変わってきているのを実感した。
P399
カレン族の若い女性の元を訪れに、朝早くチェンマイ市内から車で一時間半ほどかかる村に向かった。・・・
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ヤティーさんは家の二階部分の居間に私を案内し、台所を見せてくれた。・・・床は木材でできており、木材同士の間に隙間が少しだけあり、覗いてみると地面が垣間見える。台所は常に風が通っているので、換気扇は不要。ガスコンロの火口は二つあり、隣に置いてある一メートル程度の高さのガスボンベにガス線が繋がっている。太い木の真横に洗い場があり、食器洗いカゴに大雑把に並んだ食器たちは直射日光で乾燥中だ。生活感が溢れるほどに使われているその台所は、生活の原始的な美しさが宿る。一方で、シャープの電子レンジや日立の冷蔵庫、電子ケトルなど便利な家電も一通り揃っており、その場にたたずんでいると時代感覚がわからなくなってくるのが面白い。
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彼女の家を含むほとんどの集落の家々は高床式住宅で、一階部分には豚や鶏などの家畜を飼い、二階部分はオープンエアの台所と居間、壁に囲まれた寝室で構成されている。ヤティーさんの敷地には二軒の家があり、一つはヤティーさんたち家族の寝室、もう一つは台所と居間、ゲスト用のだだっ広い寝室がある。ヤティーさんは私をゲスト用の寝室に案内し、走り回れるほどの広さの部屋に一枚の薄いマットレスを敷いて寝床を作ってくれた。
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「私は一九九〇年にこの村で生まれました。・・・
・・・自給自足なので他所で買い物はあまりしませんが、チェンマイ市内の市場で仕入れてきたものを販売している女性が村にいて、必要な時は彼女から肉などを買うこともありますね。この後、私のショッピングを見せてあげますよ」
私のショッピングとはなんだろう?と思いつつ、ヤティーさんが運転するバイクに乗って彼女の牛の世話を見学しに行く。その後、別の畑に行く途中に「ショッピング」の意味がわかった。そこら辺に生えている野性のつるをつかんだと思ったら、サヤインゲンのような野菜を摘んだ。次はバナナの木に実った蕾をジャンプしてもぎ取り、「Shopping here!」と嬉しそうに収穫物を見せてくれる。これらの食材を今晩の料理に使うそうだ。私の目には雑草にしか見えないものが、彼女の目にはまったく違うように写っているのだろう。生きる力が眩しい。
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「料理は、お母さんの手伝いをする間に覚えました。一〇歳頃には火を焚べてご飯を炊いたり、おかずを作ったりしていましたね。・・・
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カレン族の人たちは、男女関係なく料理ができる人が多いです。・・・というのも、カレン族の子どもたちは男女関係なく一五歳になると、遠くの高校に進学したり、働きに出たりと家を出ていきます。それまでに、生活に必要なことは一通りできるように教えるんです。・・・
自分たちが育てている豚と鶏の潰し方も一五歳までに覚えることの一つ。大きな豚は力がいるので女性には難しいですが、小さめの豚であれば、女性もちゃんと潰して捌くことができます。この家も自分たちで建てましたが、家を作る技術も一五歳までに教えますよ。
進学や就職で集落を出ていく人が多いですが、最終的に家族ができると戻ってくる人もたくさんいます。もちろんチェンマイ市内で働いた方が現金収入は多いですが、家賃や食費など生活費がかかります。この集落であれば、家族がいて家があって、子どもたちのための畑や土地もあります。子育てをするにも家族がいたほうが助かるので、結局集落に戻ってくるんだと思いますね」
P545
・・・自分のコンフォートゾーンを出て、一気に海外まで生活の軸を振り切ってみると最初は本当に苦労した。時間通りに来ない電車、街なかで目につくごみ、大通りのクラクション、畳くらい硬いベッド、水圧が弱くてぬるいシャワー。異国らしさの全部が、居心地悪くてたまらない。脂っこい料理や辛い料理に胃がもたれ、何度もご飯やみそ汁が恋しくなった。
世界の中でも指折りの衛生的な国に生まれた身からすると、ハエが止まったパンや、常温で売られている肉を食べることはとても抵抗感があった。でも人間は慣れるもので、徐々に食べられるものが増え、気づけば辛いものにも耐性がつき、脂っこいものもハードルなく口にするようになった。硬いベッドはかけ布団を折りたたんで「マットレス風」にすれば、最低限の睡眠は確保できることを知った。
大変だったエピソードを挙げればキリがないが、旅が終わってみるといろんなことがいい意味でどうでも良くなった。二日連続同じ料理でも、まったく問題ない。お腹が空いてないなら、食べなくてもいい。賞味期限が過ぎていようが、匂いをかいで大丈夫だったら食べられる。味がぼんやりした料理も、それはそれでいいと思えるようになった。帰国後、二か月ほど実家に暮らしたが、母とは一度も喧嘩をせず「おおらかになって一緒に暮らしやすい」と言われた。何よりも私自身がイライラしなくて気分がいいのだ。旅に出かけて本当に良かったと思っている。
