ジェイミー・バトラーさんという霊媒師を通して、20歳で自死したエリックが語る、その後の話。
3年前に記事にしたのですが、また読みたい方がいたので、再掲載したいと思います。
P26
ぼくがこれからすることで、みんながどんな反応をするか、なんてことは考えなかった。それに、家族がどんなにショックを受けるか、どんなに苦しむかなんて、考えたくなかった。ただ、求めている結果だけがほしかったんだ。つまり逃げ出すことだ。
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・・・これは両親のせいじゃないんだ。それに・・・実際、二人はどれだけ息子を助けようとしてくれたことか。ぼくには、誰かのせいにするつもりはこれっぽっちもなかった。
もうそんな段階ではなかったんだ。
母と姉たちとおばが出かけていく音が聞こえたとき、「さあ、いまだ。いまを逃すな」と思ったのを覚えている。・・・
・・・そこからはまるで自動運転のようだった。
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・・・銃が吹き飛ばすのは、ぼくにはどうすることもできないものだけだ。アホかと思われそうだけど、自分のやろうとしていることが、死に結びつくという実感がなかった。いつもぼくを困らせるばかりで、味方になってくれない、この脳の横っちょをこいつで消し去ってやろう、くらいに思っていたんだ。
死んだあと、どこへ行くのかってことも考えていなかった。・・・
かといって、死ねばすべて終わりで、自分という存在は消えてなくなる、とも思ってなかった。もし死後の世界があるなら、それは結構だし、なくたって、いまよりはマシだろう。どっちにしろ、悪くないんじゃないか、って思った。
こうして振り返ってみると、自分の決断がまわりの人たちにどんな影響を及ぼすかを、もっと考えればよかったと思う。でもその瞬間、頭にあったのは、引き金を引きさえすれば、苦しみは消え去り、やっと解放される、という思いだけだったんだ。
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銃を撃った直後、マリアの悲鳴が聞こえた。・・・
・・・マリアが廊下を走ってくる足音がする。・・・ドアを開けて、ぼくを見たマリアは、もう一度悲鳴を上げた。・・・
ぼくは部屋の中に立っていた。銃で頭を撃ったはずなのに、どうして立っているんだろう?
「クソっ、しくじった。死にそこなったんだ!」
混乱したまま見下ろすと、自分の体が見えた。そのときやっとわかったんだ。「おや、ぼくがいる。あれ、ぼくの体じゃないか」。
正直に言おう。マジでちょっとうろたえていた。自分の体の中に戻ろうとした。でも、どんなにがんばっても戻れない。それでこう思った。
「そうか、もう戻れないんだ。どうにもならないんだ。自分で決めたことだからしかたないけど、クソっ、何てことをやらかしちまったんだ。取り消したい!いまならいのちの大切さがわかる。もし元に戻せたら、証明してみせる!」
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ぼくの体にすがりついて泣いている母を見ながら、ぼくは、すべてに納得していた。奇妙なことに、この自殺直後の短い間に、かなり深いレベルでこれは真実だと感じていたんだ。家族はとてもつらい思いをしただろう。でも、起こったことは何ひとつ訂正する必要も、変更する必要もない。そう思ったら、ぼくは救われた。なぜそんなふうに納得したのか、そのときはまだわかっていなかった。それでも、これでいいんだと感じていた。
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家族や友人には、ちゃんとさよならを言わなければならないと感じていた。
いや、さよならを言いたいというより、知らせたかったんだ。
ぼくは大丈夫だってこと、いまも存在しつづけてるってこと、そして、みんなに感謝しているってこと。
それに、ぼくからの一方的なさよならになっちゃったことも申し訳ないと思ってた。・・・
P42
死んでからのぼくは、愛する人たちと簡単につながれるようになった。
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ぼくはみんなの感情を感じとれるし、考えていることを聞くこともできる。
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ぼくがやったのは、そばに座って話しかけてみるということ。こっちが心を込めて伝えると、相手もしっかり受け止めてくれた。何もかもこれでいいんだと、言葉ではなく感覚でわかってもらえた。ぼくが一人ひとりに伝えたのは、「愛しているよ。ぼくはこの世からいなくなるけど、大丈夫だから」ということだった。
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最初に、きょうだいたちに別れを告げた。
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ぼくは、楽しかった思い出をとおして姉に近づき、となりに座って、まさに姉から教わったことを話して聞かせた。
そう、これはぼくが別れを告げにいったきょうだい全員にしたことだ。
つまり、生前ぼくがきょうだいからもらったものをお返ししたわけだ。
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母を抱きしめて、「ぼくはそばにいるよ。無事だよ」と言おうとしたけど、心ここにあらずの母は、ぼくの言葉を聞くことも、ぼくの存在を感じることもできなくなっていた。
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・・・ぼくが母に近づいて別れを告げようとするたびに、恐怖が伝わってきた。そこには無力感も入り交じっていた。
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人が目の前の現実と調和している、つまり「軸がぶれていない」とき、その人の感情は一本のパイプの中を流れている。すっきりシンプルに。でもぼくの死後、母の感情のパイプは何ヵ所も水漏れを起こしていて、ぼくには母のパイプとつながって水漏れを直すことができなかった。母はダダ漏れになっている感情を使ってぼくの死を理解しようとしたけど、手のつけようがなかった。
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それと同時に、自分の子どもを救えなかった母親としての、とてつもない悲しみと苦しみとも向き合わなくちゃならなかった。
死んでからのぼくには、母が子どものころから重ねてきた苦労のすべてが見えた。
この先、母を待ち受けている苦労も見えた。だからこそぼくは、自分の力で母をもう一度元気にできないかと思った。でもいまは待つしかないようだ。
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ヒューストンにいる家族へのさよなら行脚が終わると、ぼくは母方の祖父ポッピのことを考えた。ポッピは、ぼくがいまこうして話しているような「死後の世界」的なことは、絶対に信じないタイプの人だった。しかも、とっくの昔に死んでいてもおかしくないくらいの高齢だ。
ぼくは、そんなポッピに、死後の世界を信じないまま死んでほしくなかった。祖父にこんな話ができるのはぼくしかいない。・・・
・・・
・・・居間の椅子に座るポッピの前に立ってみる。でも、ポッピにはぼくが見えない。しばらく立ちつくしていたけど、やっぱり気づいてくれない。そこで、ポッピの記憶に一番強く残っている幼いころの姿になってみたら、ようやく気づいてくれた。
ポッピは、まずぎょっとして、つぎに怖くなり、そのうち混乱した。感情がつぎつぎと心をよぎっていくのがわかる。
「おれは頭がおかしくなったのか。こんなことあるはずがない。おれは死ぬのか、死ぬのか?」
・・・子どものころのように、・・・ポッピのひざに乗って、目をのぞき込んで言った。
「何もかもうまくいってるよ。愛しているよ」
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言葉は返ってこなかったけど、ポッピの口から音らしきものが漏れた。・・・
・・・
そのあと、ポッピは、ぼくの母に電話で一部始終を話した。
母は、ポッピがスピリチュアリティに関してはとてつもなく頑固なことを知っていた。
だから、そんなポッピの口から話を聞いたとき、母の心に初めて希望の光が差し込んだ。
もしかして息子は永遠に消えてしまったんじゃないのかもしれない、って。