つづきです。
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・・・葬式のあとも、ぼくは母のそばをうろついて、注意を引こうとあれこれやってみた。
でもすぐには気づいてもらえなかった。その夜、母は姉のミシェルを従えて、廊下の奥のぼくの部屋に向かっていた。二人は、ぼくが最後にいた場所をもう一度見て、心に区切りをつけようと思ったんだろう。
ミシェルが、娯楽室から出てぼくの部屋に続く廊下に立ったとき、ぼくは彼女の耳もとでささやいた。「おい、ぼくを見ろよ」。すると、ミシェルの目つきが変わった。「いまのは何?エリックなの?」と思ったようだ。
ミシェルは近くのテーブルに置いてあったデジタルカメラをつかむと、廊下の角を曲がろうとしていた母親の写真を撮り始めた。
「ねぇママ、私、エリックを感じたの。きっとここにいるわ」。二人は興奮してカメラの画像をスクロールした。すると、思ったとおり、ぼくが写っていた。彗星のように長く尾を引く明るい光の玉が、母の背後をヒューッと飛んでいる。まさしく「スター」誕生だ。二人は、光の尾がこう動いて、玉のように見えて、といった話をしていた。
その瞬間、ぼくは「おや、ほんとうだ!」と思った。部屋を動き回っている自分を感じた。それはまさに葬式のときに感じた、あるいは死んだときに感じた、あの感覚と同じだった。
そのとき初めてぼくは気づいた。家族はぼくを人間の姿かたちで見ることはできないんだ。
あたりまえだよね。でもまだ、スピリットになったという自覚が足りなかったんだ。スピリットがどんなものか知らなかった。でも、光の玉の写真を見て、やっと事情がのみ込めてきた。
・・・
このときを境に、母は疑う人から信じる人へと変わっていった。
・・・
・・・この一連の出来事は、ぼくにも希望を与えてくれた。家族との関係を不信で終わらせるのは嫌だったんだ。
P88
・・・エネルギー的にぼくは、地球を離れて、それとパラレルに存在する次元へ移ろうとしていた・・・
・・・
自分がどこへ向かっているのか、何が起こっているのか、さっぱりわからなかったけど、それと闘おうとか抵抗しようという気持ちは起きなかった。その必要も感じなかった。すべてが自然にそうなっていて、しかも、最高に素晴らしかった。
歩いていくうちに最初に見えてきたのは、例のものすごく明るい光の中にいる何かの存在だった。どうやら、そういう存在は人間の姿かたちをしていないらしいということに、ぼくはこのとき気づいた。あるときは形のある光のように現れ、またあるときは別の形に変身する。
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しばらくして周囲の風景が変わった。地球上で見たことのあるものも、見たことがないものも、いろいろ見えた。
・・・
・・・すごくディズニーっぽい風景を想像してほしい。ただし、もっともっとカラフルで活気にあふれている。街灯や歩道などもあって、まるで公園みたいだ。ここは蝶を始めとして地球で見かけたあらゆる生き物がいる。
でも、ちょっと変わった蝶だ。極彩色の長い尾をたなびかせていて、その蝶が飛んだあとには、虹がかかったように見える。・・・ものすごくきれいだった。
ぼくがさらに歩いていくと、スピリットたちが寄ってきて、「この道を行くといいよ。そう、こっちだよ」と声をかけてくれた。みんなほほ笑みながら、同じ方向を指さしている。
やがてぼくは広いスペースに出た。そこは地球で言うならユートピアみたいな場所だった。すべてがこのうえなく美しくて、ぼくは喜びとしか言いようのない感情で胸がいっぱいになった。あとでわかったことだけど、こっちの世界では満ち足りた状態がふつうなんだ。
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デニスおばさんと歩いていると、子どものころに飼っていた犬たち全員と出会った。しかもぼくはその犬たちに人間相手のように話しかけ始めたんだ。・・・
どうやらぼくの言葉は、犬たちに理解できるような形に変換されるらしい。あとになってわかったことだけど、こっちの世界には誰もが使う共通言語がある。それはエネルギーという言語で、瞬間的に相手に届く。
つまり誰かに何かを伝えたいと思ったら、相手は一瞬でわかってくれるんだよ。
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おばさんが案内してくれた先には、三ケ月型のテーブルがあって、スピリットの一団が着席していた。総勢六名。そこから始まったのはとても感動的なコミュニケーションだった。
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うまく説明できないんだけど、あとになって、部屋もテーブルもすべてぼくがつくり出したものだとわかった。「テーブルのスピリット一団とは何ぞや?」って思うよね。
じつは、それもぼくが手がけたビジュアル的な演出なんだけど、なぜそんなものをつくり出したかというと、こっちの世界についてもっとよく知るためには、物知りの年配者から教わったという形にするほうが、自分にはよりリアルな感じがしたからだ。スピリットってやつは、こちらの世界への移行を理解するうえで、もっともしっくりくるストーリーを自分でつくり出すものなんだ。本人が意識してか、そうでないかは別として。
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彼らはみんな背が高くて、近づくほど、強烈なエネルギーが伝わってきた。背の高さにしても、エネルギーの強さにしても、そのスピリットたちの知恵と経験を象徴しているんだろう。それでいて彼らは、ぼくより優秀だというそぶりをまったく見せない。この世界では誰もが何かしらのスキルをもっていて、人間の姿かたちをしているときも、スピリットのときもそれを発揮できる。目の前の六人のスピリットは知恵と思いやりというスキルを備えていた。
・・・
つぎの展開を話すまえに、言っておきたいことがある。・・・これは役立つ話だから。
きみが天国に(別の呼び方でもいいけど、ぼくにとっては天国なので、こう呼ぶことにする)どんなふうに入るかは、生前の信念体系で決まるということだ。
たとえば、でっかいトンネルを通って大きな白い光に吸い込まれていくと信じている人には、そのとおりのことが起きる。それは自分でつくり出すものなんだ。・・・
・・・「死んだら土に返るだけ」と信じていて、・・・自分という存在は消えてしまう、と考えているなら、暗闇の中へ、無の中へ入っていくだろう。・・・
ほんとうは永遠に暗闇にいたいわけではなかったんだ、と気づいて、大声で助けを求めるかもしれない。・・・助けを求めれば、・・・いまぼくのいる、こっちの世界へやってくる。
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テーブルに着席した六人のスピリットたちを見て、ぼくはこの旅がどんなものであれ、つぎの段階に入ったことを悟った。・・・
スピリットたちに「これから人生の振り返りを始める」と告げられ・・・
スピリットたちによれば、ぼくはこれからさまざまな場面を見ることになるらしい。・・・その振り返りのプロセスによって、ぼくは自分が何者で、どうすれば自分を許せるようになるかがわかるのだそうだ。
でもぼくは、「自分を許す方法がわかる」と言われるまで、自分が許しを求めていたことにさえ気づいていなかったんだ。
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突然、自分が小さな赤ん坊だったときから死ぬ瞬間までの、ありとあらゆる場面―楽しい場面も、つらい場面も、醜悪な場面も―が、四方八方からぼくに降りかかってきたんだ。
・・・しかも自分の体験のすべてをもう一度体験するだけじゃない。人生に存在したすべての人が、ぼくの言葉や行動に何を感じたかを、目の当たりにしたんだ。
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つぎつぎと目の前に場面が繰り出されてくる。こういう能力は、生きている間ならお金を払ってでもほしいと思っただろう。そうすれば、おそらく違うやり方で人生のかじ取りができたはずだ。人は誰も、死んでいようが生きていようが、自分の選択の意味を理解したいと思うもんだ。だから、この振り返りは最高の体験だった。
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こうして人生を振り返っていると、自分はある種の役を与えられ、それを演じていたみたいだなと思った。で、その人生を終えたとき、自分は「ぼくの人生」という劇の登場人物にすぎなかったことを知り、芝居の総評を読むことになるんだな。
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この振り返りの間に、何度かテーブルに突っ伏して泣いたこともあった。
のけぞって笑ったこともあった。でも六人のスピリットに自分が裁かれたと感じたことや、自分が何か間違ったことをしたと感じたことはいっさいなかった。
説明するのは難しいんだけど、ぼくはこのとき初めて、善悪というものは存在しないとわかったんだ。
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だからって、こっちの世界に来ると、無法状態になるわけじゃないよ。・・・
・・・そういう定義(そして定義の必要性)を超越したレベルの存在だってことだ。
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振り返りが終わったあと・・・六人のスピリットが、人生のすべての場面をぼくに見せた目的を教えてくれた。
人間としての体験から何かを得ることが目的だったんだって。
さらに、ぼくにその自覚があったかどうかは別として、じつは、ぼくの人生は、出会ったほかのスピリットたちとともに、自分ですべてまえもって計画したことだった、とも教えてくれた。ぼくの人生の計画とは、対比(コントラスト)をつくり出すことだった。
たとえば、許しを完全に学ぶためには、自分自身や誰かを裏切らなくちゃならなかった。・・・