石を売ってみた話、泥団子を出品してみた話・・・面白かったです。
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その日は、絵に描いたような晴天だった。
雲一つないその秋晴れの下で、私は手製のカウンターを前に、石を売っていた。
用意されているのは、盆のうえに並べた小石たちと、「石ひとつ百円」とプリントされたA4用紙だけ。ペライチのその看板は、爽やかな風を受けて、ピラピラと端を揺らしていた。
近所の公園で開催されている『手づくり市』なるものに、私は出店者として参加していた。
なんの変哲もない石を、大真面目に売りたい。なんの変哲もない石を大真面目に売ることで、「不真面目な労働」をこの世に提示したい。「不真面目な労働」であっても金銭が得られることをはっきりと証明したい。そして、「真っ当な労働をすることでしか手に入らないもの」と思われていたお金の実の正体を、暴いてやりたい。
そんな謎の正義感に突き動かされて、私はこの『手づくり市』に参加していた。
・・・
結局、この日の『手づくり市』で、私は石をひとつも売ることができなかった。
・・・
よく考えたら、「石ひとつ百円」の紙が貼ってあるだけの不気味なカウンターに、誰が寄りつくというのか。
私に足りていないのは、工夫なのだろう。だが、どのように工夫すれば石が売れるのか、それが皆目見当もつかなかった。
「おつかれさまです。石は売れましたか?」
片付けをしている私に、そう声をかけてくる人が現れた。私の隣で、自家製のシロップから作ったジュースやアルコールを販売していた女性である。・・・
「いや、全然売れませんでした……」
「そうですか……いや、石を売っているお店なんて初めて見たから、驚きましたよ」
そう言うと彼女は、売り物のジュースを一杯、「ねぎらいの代わりです」と私に恵んでくれた。ありがたくそれをいただき、喉を潤す。美味しい。
・・・
「ドリンクって、儲かるものなんですか?」
「あ、かなり儲かりますよ。飲食店なんかでも、食べ物より飲み物の注文がたくさん入ったほうが助かるって言いますし。ドリンクって調理の手間もないし、原価で買ったものにそれなりの値段を付けて売ることもできるし。結局、最後は液体が勝つんですよ」
ほう……。
「また明日」と言って彼女と別れ、帰路を辿るその道すがら、私はずっと「最後は液体が勝つ」の響きを頭に巡らせていた。
・・・
あ、そうか。もしかして、これだったら。あるアイディアが、私の脳裏に閃いた。
次の日、私はまた同じ公園の会場で、石を並べてカウンターの前に立っていた。
しかし昨日とはひとつ、違う点がある。看板だ。
「石ひとつ百円」の他に、「お酒一杯五百円」とプリントされた紙を貼ってみたのである。ウィスキーと氷、そしてグラスをカウンターの下に忍ばせている。
ウィスキーで利益を得ようとしているわけではない。これはあくまで、お客さんの意識を石に向かわせるためのアプローチなのである。いわば、石が本当の売り物であり、ウィスキーは呼び子のポジションというわけだ。
「お、酒を売っているのか。……ん、石?」
訝し気な表情を浮かべながらも、ひとりのおじさんがカウンターへとさっそく近づいてきた。「お酒」の看板、効果絶大である。
「お酒って、なにがあるの?」
「はい、ウィスキーだけご用意しております。こちらで飲んでいただければ」
「じゃあ、一杯ください……」
五百円玉がカウンターの上に置かれる。・・・
・・・
「これも売ってるの?」
「ええ、ひとつ百円です」
「これって、鉱石とか宝石の原石とか、そういうのじゃないよね……?」
「はい、私が拾ってきた、ただの石です」
「ふうん……」
・・・
「この石、どこで拾ったの」
「茨城県の海岸ですね」
「へえ、あそこら辺に、こんないい石があるんだ……」
おお、おじさん、話がわかる人ではないか。
・・・
「ごちそうさま。じゃあ、この石、ひとつ買っていくわ」
来た。ついに、時は、来た。
石が、本格的に、売れた。
おじさんは空いたグラスと百円玉を置くと、石をポケットに無造作に突っ込んで、その場から去っていった。
残された私はひとり、そこで極限に達した快感に体を貫かれながら、直立不動の姿勢でおじさんを見送っていた。
気持ちいい。満たされた。
自分で選んだ石を、誰かが選んでくれることって、こんなにも心地の良いことなのか。
いつのまにか石に込めていた自分の無意識的な価値観が、他人に認められたのだ。
生涯で感じたことがないほど、自己承認欲求が満たされている。・・・
・・・
それからも、「お酒」の看板につられて、途切れることなくお客さんたちはカウンターへとやっていた。・・・なんと二千円も使ってニ十個もの石を爆買いしていく人もいた。・・・
・・・
調子づいた私は、その後も「石とウィスキー」のスタイルで、他のいくつかのイベントに出店を試みた。
イベントの特色にも左右はされたが、「石とウィスキー」の店は、概ね好評だった。たくさんの人たちが、ウィスキーを嗜みながら、最後は石を買っていってくれる。なんの変哲もない、どこの市場に出しても価値のない、ただの石を。
・・・
石の販売は、もうひとつ、私に示唆を与えてくれた。
「経済システム」がなくても、お金には勝てるかもしれない、という示唆である。
様々な催し会場で石を売っていると、色んな人に声をかけられる。お客さんであったり、隣り合った出店者さんであったり、イベントの関係者の人だったり。
「石を売るって、最高だなあ」
「石が売れる世の中であってほしいですよね」
「石を買うっていう嗜みを忘れたくない……、それこそが文化……」
みんな、それぞれ、異口同音に、「なんの変哲もない石を売る」という行為を肯定してくれる。そして、石をひとつ買ってくれたり、「次、こんなイベントを開催するので是非出店してください」とチラシを置いていってくれたりした。「こんど、一緒に石を拾いに行こうよ」と声をかけてくれる人もいて、その人とは後日、友人になったりもした。
その時に私は、なにかが少しずつ、「プチプチプチッ」と静かに音を立てながら、豊かに形成されるような景色をそこに見る。それは、決して「経済システム」などという、味気のない代物ではない。
あえて言葉を探すなら、それは「生態系」と呼ばれる景色なのだろう。
・・・
石が、お金になった。海岸でただ拾ってきただけの石が、自分が「良き」と思って拾っただけの石が、お金に。
・・・
私にはまだまだ、お金の正体がわからない。わからないのであれば、冒険を続けるしかない。
こうなった以上、石を売る以外のアプローチを考えなくてはならない。石よりも、もっとしょうもないものを見つけ、それをお金に換えることで、今度こそお金の正体の尻尾を、つかんでみようではないか。
・・・
さっそく私は、泥団子づくりにいそしみ始めた。
・・・
出来上がった泥団子を眺めれば眺めるほど、「だからなんなんだ」という感想しか浮かばない。そこが、実によい。泥団子の存在は、端的に無意味なのである。
・・・
こだわったのは、その造形だ。
無造作過ぎず、かといって、美し過ぎず。
・・・
だから、中途半端に鈍い輝きを放つ、極端に「なんでもない」泥団子を作ることを目指した。そして試行錯誤の末、ようやく納得のいく泥団子が完成した。
いい。
とても、いい。
重さもサイズも丸みも、ジャスト、シンプル。
表面の光沢は、見る者の心に特別な感動を湧き起こさせない、絶妙に中途半端な輝きでおさまっている。
・・・
私は、さっそくこの泥団子をフリマアプリに出品してみた。
問題は、価格をいくらに設定するかということだ。
安すぎては、面白くない。かといって、度を越した高値もいただけない。絶妙に中途半端な泥団子を、絶妙に手の出しにくい値段で売るのが、この場合の態度としては正しいと思えた。・・・
・・・
泥団子、一個、六千円。
・・・
その時は、突然に訪れた。
泥団子を出品してから一週間ほど経ったある日のこと。メールボックスを開くと、そこに一件の通知が表示されていた。
「あなたの取引が成立しました」
最初はなにが起こったのかわからず、ただただ呆然とその通知を眺めていた。
それから、あの泥団子が売れたのだということを理解し、すみやかに動揺した。
おいおい。
マジかよ。
泥団子、売れちゃったよ。
六千円で、泥団子、売れちゃったよ。
・・・
「お金の存在値」は、ブレにブレていく。音を立てて、ブレていく。
やがてそこに、お金の正体らしきものの姿が、ようやく現れていく。私は必死で、それを目視しようとする。
もしかしてお金って、究極的には土に似たものなのではないか。・・・
