無意識の整え方

人生が変わる!無意識の整え方 - 身体も心も運命もなぜかうまく動きだす30の習慣 - (ワニプラス)

 とても興味深く読みました。

 こちらは合氣道の藤平信一さんとの対談です。

 

P32

前野 以前、あるお坊さんに、自分なりに分析した「悟り」のことを話したことがあるんですが、そのときも「それでは悟れませんよ」といわれました(笑)。悟りの概念や道筋を説明できても、意識的に「悟ろう」としているうちはたどり着けない。むしろ、遠くで犬が吠えた声を聞いたりしたときに、ふと悟ったりするものだといわれたんです。これは、幸せにも似ています。心理学で分析してみると「幸せになろう」とするより「誰かを幸せにしよう」としている人のほうが圧倒的に幸福だということがすでにわかっています。前者の幸福感はすぐに去っていく。でも後者は深く、長く続く。これって氣が通うということと同じに聞こえませんか?

 

藤平 わたしにも、そう聞こえます。先代の藤平光一は「氣とは、海中の水を手で囲うようなもの」とよく表現していました。手の中にある水は「自分のもの」ともいえますが、大きな海の一部に過ぎません。・・・ですから、手にした水を独り占めしようとしっかり囲っていると、だんだん淀んで腐ってしまいます。氣もまた通わせずにいると淀んでしまう。氣も自分も天地の一部であるのだから、周囲と通わせることで、澄んだものとして活かすことができるんです。

 

前野 氣を幸せに言い換えても通じますね。幸せと氣が同じものかもしれないだなんて、考えたこともなかったなあ。

 

藤平 わたしも前野先生の本を拝読して驚いたんです(笑)。合氣道の技にもそういう側面があります。普通は、投げられると「ちくしょう!」と悔しく感じるものだと思われるでしょう。でも、正しく「導き投げる」と、投げられた側も幸せな気分になるんです。

 

前野 悔しくないんですか?

 

藤平 悔しさは感じません。むしろ笑ってしまうんです(笑)。自分の動きを妨げられた感覚がないので、投げても投げられてもうれしいんですよ。積み重ねていくとそうなります。投げられたら負けではないのです。

 ・・・

 ・・・相手を倒すことが目的だと、相手に抵抗されてしまいます。・・・ですから、考え方を変えて「大丈夫ですか?」と相手を介助しているような気持ちと体勢で組むんです。わたしたちの言葉でいえば「氣を通わせる」状態です。すると、相手と一緒に動くことになり、体格や力の強弱に関係なく、投げたり、倒すことができるんです。・・・

 同じようにやってみてくださいといっても、なかなか思い通りにいかないと思います。表面のかたちだけ取り繕ってもダメなんです。「大丈夫ですか?」と口ではいってみても、潜在的な無意識のところが違うとうまくいきません。その無意識の部分を変えていくような稽古をおこなうんです。