タイトルは強い印象ですが、人として大切な姿勢やさしさが書かれているように思いました。
P73
生きとし生けるもの、地球上の生物すべてが〝自然の波長〟、あるいは〝宇宙の波長〟といってもいいかもしれないが、その波長の中で生きている。
我々人間も、その波長の中で生命として生き、体を使って動いている。その中であまりに不必要な動き、違和感のある動きをしていると波長を感じることができなくなり、自然の波長とは遠く離れた無駄な動きばかりになってしまう。
P82
麻雀では、4人のプレイヤーが13個の牌を手牌として持つ。そして、山から順に牌を1個ずつ取っては、手牌の中から1個を捨てていくという行為をくり返す。
各プレイヤーの人間性が出るのは、山から牌を取るときではなく、捨てるときだ。13個ある牌の中からどの牌を捨てるか。その「捨てる」という行為の中に、いろいろな意味が含まれている。勇気や的確な状況判断によって牌を捨てることができればよいのだが、実際の勝負の中ではそれがなかなかできない。捨てるという一打一打の中に、その人の危うさ、汚さ、緩さ、曖昧さ、臆病さが入り交じってくる。
捨てる、あるいは切るという行為は、臨機応変で、適材適所で、柔軟で……と、すべてを備えていないとできないのだ。
牌を捨てるという行為には、弱気、疑い、損得勘定など人間が持つ欲、いやらしい部分がすべて出てくる。
だから、雀鬼会ではその捨て方、切り方、少しでも美しくなるよう、牌を切る練習ばかりしている。まずは動き、そしてその次に考え方。思考、動作といった心身の両面で、できるだけよい形で牌を切れるように、メンバーたちは日々鍛錬に励んでいる。
切り方を練習していると、だんだん麻雀に対して美意識というものが出てくる。動作を磨いていくことで徐々に思考にも美しさが出てくるのだ。
人間なら、誰もが大なり小なりいやらしい部分を持っているものだし、ましてや、それをなくすことなんて誰にもできやしない。それならば、そういった気になる部分が少しでも表に出ないように収めておくようにする。収めたうえでさらに、少しでも美しい動き、思考となるように修正をしていく。それが大切なのだ。
P86
私が考える勝負の三原則は、「臨機応変」「適材適所」「柔軟性」だ。臨機応変はどんな状況にも動じず冷静に対応するということ、適材適所はその場その場にふさわしい行動、動きをとらなければならないということ。そして最後の柔軟性は、肉体的な柔軟性ということではなく思考的な柔軟性、「どう攻めようか、どう受けようか」という考え方の柔らかさを示している。
P111
・・・今の世の中は、社会全体が格好悪くなってしまっている・・・社会がいろいろな意味で歪み、曲がってしまっている。そんな凸凹だらけの環境の中で生きていくには、人間もその凸凹に合わせなければならない。その結果、どんどん格好悪い人が増えていく。格好よかった人まで格好悪くなっていく。
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世の中に溢れる情報、当たり前だと思っている動き、考え方、それ自体が格好悪いのであって、そうではないほうが格好いいということはたくさんある。
知識や情報をたくさん身につけていることが仮に格好いいとされることだとしても、そうではないほうが格好いい場合だってあるのだ。知識や情報をあてにするのではなく、インスピレーションを大切にして自然体で生きる。究極の格好よさとは、〝素のままの自分で生きる〟ことだと私は思っている。
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心の病にならないためには、素直になることが大切だ。私は、道場生たちにもいつも「素直になるんだよ」といっている。
素直になるということは、なんにでも従順に従えということではない。よいところ、悪いところを含め、素直にすべてをさらけ出すことだ。もちろん、それには勇気も必要だ。道場生たちが勇気を出して素直になれるよう、私も素っ裸になっていつも接している。
P158
人を観察するときは皆それぞれのモノサシを使っている。自分のモノサシだけでは相手のことがわからず、どう対応してよいか迷うときは、他の人のモノサシを参考にすることもある。・・・
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果たして自分のモノサシはどのようなものなのか、それを客観的に見ることは難しい。・・・
だが、一方で他人のモノサシのことはよく見える。常識ばかりでつくられているな、妄想が入っているな、欲や期待が強すぎるな、固定観念が強すぎるな……じっくり観察すると、実にさまざまなモノサシがあることがわかる。
では、自分のモノサシを改良するにはどうすればいいのか?ポイントは、人間が生まれながらにして持っている素の感性を使うことだ。ところが、この感性はほとんどの場合、常識を植え付ける教育やさまざまな固定観念によって曇ってしまっている。
だから、人を正しく見て理解するには、まず自分の感性を覆い隠しているものを除くことから初めなくてはならない。
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私が読者のみなさんに望むのは、固定観念に囚われることがない、いかなる変化にも対応できる柔軟な観察力を磨いてほしいということだ。研ぎ澄まされた感性でできたモノサシは、どのような時代や環境をも生き抜く心強い武器になってくれると思う。