うんこ漢字ドリル

路上の熱量

 

あの名作が生まれるまでのエピソードなど、興味深かったです。

 

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 古屋は二〇一七年三月二四日に『うんこ漢字ドリル』(小学一~六年生用)を出版した。部数は二七六万九千部(二〇一七年一〇月現在)と、出版不況と言われる中でのミリオンセラー。・・・

 大ヒットのきっかけはツイッターだった。都内の書店でドリルを見かけた母親らしき女性が「例文がすべて「うんこ」の漢字ドリルを見つけてしまった」とつぶやくと、あっという間に四万近くリツイートされた。・・・初版の三万六千部(一~六年生)は瞬く間にはけ、二週間も欠品状態が続いたほど爆発的に売れていった。・・・このドリルをやらせた親たちによれば、とくに男の子がげらげら笑いながら、集中して勉強しているという。

 例文は一~六年生用まで合わせて三〇一八もあり、すべてに「うんこ」が用いられている。

「笑いすぎて、子どもの腹筋を破壊してやろうと思いました。子どもが好きでも、親がおもしろがって買ってくれなければ広がらないから、それがうれしかった。うんこの臭いとか、汚い感じをできるだけ出さないように、本当に気を遣いました。うんこが主役なのに、不快にならず、よくぞ品を保てたと思います」

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 社会に出ても、中学や高校の延長みたいなふざけたことがやりたい。それが一番できそうだと思ったのが、テレビのバラエティ番組のスタッフになることだった。

 ・・・家にまともに帰れないほど、「お笑い」のためにすべてを捧げるような生活が五年半続いた。

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 二〇〇四年にADからディレクターに昇格すると、・・・自分の感性だけをとことん追求する作品を自主制作し始めた。一方で、出演するタレントの調整や、事務所からのクレームの対応をする能力を問われるディレクターの仕事とどうしても性が合わなくなり、ディレクターという肩書になって数カ月で会社を辞め、フリーランスになった。

 会社を辞める前に手がけた映像作品が「スカイフィッシュの捕まえ方」。存在しない「スカイフィッシュ」という宙を舞う魚を捕まえるために、スカイフィッシュ捕獲の達人たちが、日本や海外であの手この手の捕獲作戦を展開するというドキュメンタリーテイストの作品だ。ストイックな雰囲気すら漂うシュールな笑いを追求した構成は、かみ殺したいような笑いを誘う。人気が出て三部作まで発展した。

 この作品には、『うんこ漢字ドリル』を出版した文響社代表の山本周嗣が出演している。実は山本も高校の同級生だったが、当時はあまり面識がなく、上京後に水野を通して仲良くなった。 

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 古屋は以前、「うんこ川柳」を小学生が日本語をおもしろがって学べる教材に進化させようと考えていた。・・・

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 ・・・山本が「うんこ川柳」を世に出せないかと考えたとき、古屋の笑いのセンスには同調できるが、このままだとサブカルチャー好きの一部のマニアにウケるだけで終わってしまうのではないかと懸念した。そこで山本が思いついたのが「漢字ドリル」にするというアイデアだった。

 二人は古屋の自宅近所のファミレスで議論を重ね、類書を研究した。・・・

 準備期間中、塾などに協力を得て、「実験」をさせてもらったことがある。はたして子どもは笑うのか。難易度は合っているのか。不安はいくらでもあった。最初は何も言わずに、子どもたちに『うんこ漢字ドリル』を差し出した。子どもたちは「これやっていいの?」というような表情で、互いや先生の顔色を窺っている。

「これ全部うんこじゃん!」

 一人の男の子が笑い出した。すると一気に笑い声が子どもたちの中に感染した。母親や女の子も笑いをこらえきれないでいる。これはいけるぞ。古屋と山本は確信した。その読みは当たった。

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 小学六年生用の終わりの三つの例文の「翌」という字のパート。

「うんこがなくなった「翌」日、ぼくは落ちこんだ。」

「うんこがなくなった「翌」週、ぼくは泣いていた。」

「うんこがなくなった「翌」年、ぼくは中学生になった。」

 つまり、うんこからの卒業を物語っているのだ。しかし古屋はというと、「卒業する必要がないと思いますけどね」とにやにや笑っている。

 ・・・映画『スタンド・バイ・ミー』の世界が大好きだという。十二歳のときのような友達は二度とできないという、主人公の最後の回想が印象的な名作だ。

「そういう時代の友達っているじゃないですか。ぼくにとって、うんこはそういう存在。ぼくはお別れできなかったんじゃないかな」

 古屋は、内なる「子ども」をずっと手放さなかったし、手放せなかった。その「子ども」に古屋自身がきっと助けられてきた。古屋の頭の中はまるで子どものおもちゃ箱のようだと思った。