与論島の死生観

与論島の山さん 薬草に捧げた人生と幸せな終末へのメッセージ

 与論島で診療所を開いている古川誠二さんのお話です。

 

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与論島の在宅医療、終末医療について、印象的なお話などを教えてください。

 

古川:まず、わたしが与論で25年以上にわたって医療に携わった経験上、与論の人は自分の死期がわかりますね。冗談ではなく、与論にはお母さんを意味する「アンマー」という言葉がありますが、あるとき「アンマーが来た」と言うと、ほぼ100%の人がだいたいそこからきっかり二週間で亡くなるんです。だからアンマーが来ると、入院患者であれば退院して自宅に戻ったり、お世話になった人へお礼の電話をする方もいますね。

 私見ですが、全身管まみれのような最新の延命治療はしない、強い薬で感覚を鈍らせるようなこともしないので、自然と死期を察知できるのではないのかなと思いますね。往診はしますが、「いつごろ亡くなるか」ということについては、本人や見ている家族のほうが、わたしなんかよりずっと正確です。

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 ・・・これは自宅で亡くなるのが幸せなんだとかいうような単純な話ではなく、それだけ与論における終末の在り方には文化的な背景が強いんです。

 実際に自宅で死期を迎えるまでの時間も独特ですね。わたしが往診で行うのは痛みの緩和くらいなので、患者は普通に話すことができます。亡くなる1分前まで話していて、すっと亡くなる方が驚くほど多いんです。

 そんな雰囲気なので悲壮感はあまりなくて、「先生はお酒でも飲んで、そこで待っていてください」と言われたりもします。そうやって人は誰かと話をしていると時が経つのを忘れるようで、それは終末期の患者でも例外ではなく、延命治療をするよりも1,2日長生きした可能性もある(笑)。

「サンキュー・ベリー・マッチ」と言い残した患者がいて、家族と笑った最期はある意味で印象的だったけれど、だいたいは「ありがとう」「トートゥガナシ」と言って亡くなりますね。

 そうやって息を引き取る瞬間を見せて、命の教育をしている面もあると思います。だから死を近いもの、自然のものととらえていて、与論の人は死を恐れない、延命もいらない、ということにつながるんだと思います。

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 ・・・もう40歳くらいの人になると「絶対に家がいい」というのはなくなってきているので、施設から家に戻さず、直接火葬のケースもあります、それが当たり前になると、「マブイ寄せ」もなくなるでしょうし、魂の在り処もわからなくなって、守り神や先祖崇拝といった与論の独自性にも影響するかもしれませんね。

 でも、わたしとしては価値観を若者に押しつけるつもりはない。そこから新しいものが生まれる可能性もあるわけだから。