ドーバーばばぁ

ドーバーばばぁ (新潮文庫)

 60前後のおばちゃんたちが、ドーバー海峡をリレーで泳ぐ、10年位前にドキュメンタリー映画になったそうで、その監督さんが本にまとめたものです。

 ほんとに泳ぎ切れるのかしら・・・と、ドキドキワクワクしながら一気に読んでしまいました。

 

P168

「チーム織姫」のリーダー、大河内さんと出会ったのは、東京・立川市近郊に住む外国人のためのボランティア活動に参加しているときでした。その活動中のあるとき、お弁当を食べていると、近くで「還暦前にドーバーを泳ぎたいなあ」という話し声が聞こえたのです。いったいどういうことだろうと思って聞きにいきました。

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 しばらくしても、熱海で遠泳をするときにしか泳ぐ姿は撮れないという状態が続いていました。困ったので、それぞれの家に入り込んで撮るしかないと思い始めました。

 もともとが、興味をひくおばちゃまたちです。それぞれにいろいろな仕事を持っているし、泳ぐきっかけも息子さんの病気だったりで、自分自身がものすごく水泳をやりたかったっていう人は少ない。何となく泳いでいるうちにドーバーに行くという状況になったというのも、おもしろい。加えて、介護や看護など、それぞれに家の状況も大変そうでした。・・・

 ・・・私はあなたたちの「人となり」を撮りたい。もちろん泳ぎはおもしろいと思うけれど、みなさん個人の物語がない限り意味がない。まず「人ありき」であって、「泳ぎありき」ではない。そこからやらせて欲しい、と説得しました。

 とはいえ、みなさんそれぞれの家庭事情があるし、密着取材なんてされたこともない。なんでこんな風に撮影するのかと思ったはずです。顔のすぐ近くまでカメラは寄っていくし、撮られる姿は水着だし。ふつう中高年で水着姿なんて撮られるのは嫌ですよ。お腹は隠すとかね。それが露骨に出るわけです。「何なのよ、この人は」と思われているのはわかっていた。でもそれをやらない限り意味はないと思っていました。

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 CSAは、「目的は対岸に泳ぎ着くことだけ。競うことではない。何らかの記録を打ち立てることでもない。ただ、対岸にたどり着くことだけに集中して、あとはパイロットと自然に身を任せましょう。具合が悪くなったら無理して泳ぐ必要はない」ということを強調しています。たしかに、泳ぐ本人はどこを泳いでいるかわからないのだから、チームの協力を得つつ、最後はドーバー海峡という過酷な自然環境に身を任せて泳ぐしかない。

 私はつい、これを「人の一生」に重ねてしまいます。死に向かってそれぞれが淡々と生きていくなかで、まわりとの信頼関係や協力関係を築いていく。ときには、東日本大震災のように、自然に身を任せざるを得ないこともある。それらを乗り越えて、対岸に、彼岸に行く。つまり、自分たちの死に向かっていくのかなあという気がしています。遠泳と人生はオーバーラップするのです。

 リーダーの大河内さんがいつも言っているように、ドーバーを泳ぐことは結果でしかない。むしろ、そこに至るまでの二年間、三年間、努力してきたことが自分たちにとって大切だと。まさに、そういうことなのです。非日常があるから日常が活性化していく。そのために、いろんなことを乗り越えていく。・・・

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 ・・・大切なのは、日々、毎日の暮らしなのです。・・・

 ・・・いまこの瞬間も、介護でも遠泳でも何でも、一生懸命やって乗り切っている。誠実さをもってやる、そういうことだと思います。