こちらは重松清さんによる、巻末の解説です。
本作へのコメントも、稲泉連さんの書くものへのコメントも、なるほどそうだなぁと思いました。
P321
・・・本作はノンフィクションである。まさに、事実は小説より奇なり。そして、実際に起きてしまった出来事は、時として、つくりものの物語をはるかに凌ぐドラマティックな展開を見せる。成瀬氏と豊田社長もそうだった。師弟の悲劇的な別れや、のこされた弟子が「自立」する姿など、これまた創作では「できすぎだろう」という謗りを受けてしまいかねないのだが、繰り返し念を押しておく、これは紛うかたなき事実の物語なのである。
だからこそ僕たちは、世界に名だたる大企業の舞台裏で、経営の中枢と現場の最前線との間にこんなにも人間味あふれる関係が成立していたのか、と驚かされる。感動もする。そして、その師弟関係が、思いがけないトラブルに見舞われたトヨタを存亡の危機から救う底力を生んでいたことに―まるで自分が孫弟子になったかのように、胸が熱くなるのである。
・・・
宇宙飛行士から東日本大震災、さらには一九六四年の東京パラリンピックまで、多岐にわたるノンフィクション作品を手がけている稲泉連さんのスタイルには、一つの大きな特徴がある。
なぜ自分がこのテーマや題材に挑むのか。なぜこの人の話を聞きたいと思ったのか。その理由や動機を、稲泉さんは、時として律儀すぎるほど詳細に、かつ率直に明示する。いわば登山口を読者に見せる。この山にどこから入り、どうやって登ったかの装備やルートを公開する。そうすることで、山頂からの眺望、すなわち一作のノンフィクション作品を読み終えたときに読者の胸に残るものに、強い説得力を与えるのだ。
本作も例外ではない。もっとも、時代や世代に根差した、つまり「いまでなければ」「一九七九年生まれの自分でなければ」という強い動機付けの多い稲泉ノンフィクションにあって、本作の登山口は、ずいぶん標高の低いところに置かれている。そもそもの始まりは、二〇一〇年六月、成瀬氏の不慮の死を報じる新聞記事を目にしたこと―偶然なのである。
訃報に記された、ごく短い一節<豊田章男社長は、成瀬氏を運転の「師」と仰いでいた>に、稲泉さんは興味を惹かれた。また、成瀬氏が六十七歳という年齢で現役のテストドライバーだったこと、さらにはテストドライバーという職業そのものへの関心もあいまって、取材を始めた。
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<一年が経ち、二年が過ぎていくなかで、私は事故死したこの成瀬弘という存在が、トヨタという大企業のトップに立つ男にとって、あまりに大きなものであり続けていることに気づいていった。豊田家の御曹司として生まれた豊田章男、記事にもあるように「臨時工」として高度経済成長期にトヨタに入社した成瀬弘。あまりに遠いところにいたと思えるこの二人がいかにして交わり、そこに何が生まれたのかを知りたくなった>
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・・・「伝説のドライバーとトヨタのトップの、知られざる『師弟』秘話」―といった「美談」にまとめるなら、これほど収まりの良い構図はないだろう。登山に譬えるなら、途中の見晴らしのいい場所まで来ると、「このあたりでいいか」と、そこからの眺望を読者に見せて幕を引くわけだ。
しかし、稲泉さんはそれを潔しとしなかった。神格化することを厳しく自戒しつつ成瀬氏の周辺取材を続けて、一癖も二癖もある氏の肖像を描き出し、粘り強い依頼のすえに豊田社長本人への取材を実現して、驚くほど率直で、しっかりと感情の溶け込んだ言葉の数々を引き出したのだ。
さらに―ここからは「こっちの苦労も知らないで」と稲泉さんに叱られるのを覚悟のうえで、外野から無責任なことを申し上げる。
本作の最大の幸運は、生前の成瀬氏に会うことが叶わず、豊田社長へのインタビュー実現も難航したことではなかったか。
・・・
・・・稲泉さんは本人に話が聞けなかったからこそ、一九六三年にトヨタに入社した成瀬氏の生涯を、少年時代にさかのぼって丁寧に調べていった。豊田社長についても同様に、父親の章一郎氏、祖父の喜一郎氏、さらには曾祖父の佐吉氏からの豊田一族の足跡を丹念にたどった。
すると、面白いものが見えてきた。成瀬氏がトヨタで過ごした半世紀近い歳月は、そのまま日本におけるモータリゼーションの歴史であり、モータースポーツの歴史でもあったのだ。さらにはその視野をトヨタ全体の歴史へと広げることで、戦前からの「産業としてのクルマ」の有為転変のドラマも浮かび上がってきたのだ。
成瀬氏と豊田氏の師弟物語という「叙情」に、クルマと社会の関係という「叙事」の背骨がピンと通った。かくして、「トヨタの社長は、どうしてテストドライバーを『師』と仰いだのだろう」という素朴きわまりない興味から始まった取材は、単行本版で三百二十ページ近い長編ノンフィクションに結実したのだった。
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読了する。山頂に立つ。下界を見渡しながら、たとば本作で紹介された成瀬氏のこんな言葉を思いだしてみようか。
<クルマと会話をするんですよ。計算は間違っているか合っているかだけですからね。我々は会話をしながらモノをつくっていく。クルマは生き物なんですよ。計算だけではできない>
・・・
山頂に立つと気づいたことがある。
どうやら本作は、ぽつんとそびえている独峰ではなく、山脈を成しているようだ。
稲泉ノンフィクションの主題には、学生時代に取材を始めた『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』から、その続編とも言うべき『仕事漂流』、東日本大震災の被災地に取材した『復興の書店』、さらには本作りの現場を多面的にルポした『「本をつくる」という仕事』をへて現在へと至る、「仕事」「働くこと」の大きな流れがある。
本作もまた、その流れに連なるのではないか。なぜなら、本作を読了して山の頂きに立っていると、くだんの作品群が驚くほど近くに見えるのだ。
だからこそ、本作のクルマにまつわる話は、「『本をつくる』という仕事」の、さまざまなフレーズとも響き合う。
製紙工場を取材する稲泉さんに、技術者はこう語る。書籍用紙は抄紙機という機械で抄いてつくられるのだが、どんなに機械化されても心地よい紙づくりには職人の技が欠かせないのだという。
<抄紙機の技術標準書には、書籍用紙のラインアップごとのつくり方、薬剤の配分量などが当然記されている。ところが、実際の工程では抄紙機の癖を知り抜いた職人が機械を繊細にコントロールしており、決められた数値通りに紙を作ってみても中川工場のものとは全く別のものになってしまうのだ。
「測定値の数値では良い結果が出ているのに、触ると柔らかさも強さも足りない。版元さんにとって重要なのは数値ではなく、触って「この紙いいね」と思えるかどうか」>
いかがだろう。先ほど紹介した<クルマ>の話と、恐ろしいほど通底してはいないか。
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それを思うと、「なぜ大企業の社長がテストドライバーを『師』と仰いだのだろう」という素朴な興味から始まった本作が、険しい登攀ルートをたどったすえに「モノをつくるとはなんであるか」という大きな主題を獲得するまでに育った理由―育たなければならなかった理由が、痛いほどに伝わってくる。
そして、その理由は、新型コロナ禍でさまざまなものの価値観が激しく揺さぶられている時代になって、いっそう重く響くのではないか。