死ぬことはまた会えるということ

随縁つらつら対談

 

 こちらは帝塚山大学教授の西山厚さん。

P133

釈 西山さんに、私はまずお礼とおわびを言わなければなりません。というのは、ご著書『仏教発見!』(講談社)に、「死ぬことはこわくない」という話を知的障害の方にされたことが書いてあり、私は感銘を受けて、勝手にあちこちで書いたりしゃべったりしているからです。

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西山 ・・・今から十年ほど前のこと、知的障害の施設の先生から手紙が届き、施設の人たちを連れて行くので、死ぬことはこわくないという話をしてくださいと頼まれました。その施設におられる知的障害の方々の平均年齢は五十五歳で、知的年齢は三歳から六歳だということでした。・・・

 ・・・そうだ!お釈迦さまが亡くなるときの話をしたらいい、と思いついたんです。

 ・・・涅槃図には必ず、右上隅にお釈迦さまのお母さん、摩耶夫人が雲に乗って地上に降りてくる様子が描かれています。摩耶夫人はお釈迦さまを生んで七日で亡くなった。生んだばかりの小さなわが子に思いを残してこの世を去った。だからお釈迦さまはお母さんを知らない。そして摩耶夫人は、天の世界に転生していたのだそうです。涅槃図を見るたびに、若い頃は、あれはお釈迦さまが臨終の直前にお母さんを思い出したのだ、八十年前に自分を生んで亡くなった、自分よりもはるかに若い、顔も知らないお母さんのことを思い出したのだ、と考えていました。涅槃図は、お釈迦さまが死ぬ直前に考えたことを象徴的に描いていると私は解釈していたわけです。いろいろなお経に書かれているお話は知っていましたが、そんなことは現実にはないと。

釈 迎えになんて来ないと。

西山 そうです。でも、十九年前に考えが変わりました。父が亡くなったのです。亡くなる十数日前、父は自分のお母さんの姿を見ました。父はとても喜んでいました。父は声を出せなくなっていたのですが、紙に「私の母の幻を見ました」と書きました。私はぎょっとしました。お迎えに来るという言葉を思い出したからです。・・・程なくして、父は亡くなりました。涙を流しながら私は、本当におばあちゃんは父を迎えに来たのだ、と思いました。そして、摩耶夫人も、本当にお釈迦さまのとろにやってきたんだと思い到りました。

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 ・・・私はこんなふうに思い始めました。死ぬとは、先に死んだ大切な人にまた会えること。大事なのは、そのときまで生き切ること。・・・素敵なみやげ話をたくさん持っていくために、そのときまで精いっぱい生き切る。知的障害の人たちは、ちょうどお父さんやお母さんが亡くなる年代で、何人かが続けて亡くなったので、みんなが死ぬことをこわがっていたそうです。だから、「先に死んだ大好きな人にまた会える。迎えに来てくれる。そのときまで生き切る」ということを伝えられたら、少しは死ぬことがこわくなくなるのではないかと。

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 そうこうしているうち、前日の夜になり、話の構成をさらに考えていたら、一つ足りない物があることに気づきました。それがないと話ができない!それはハート型をしたピンク色の風船でした。明日の朝までにピンクのハートの風船が絶対に必要だ!そこで、友だちに電話しました。持つべきものはよき友ですね。閉店間際の百貨店で買い物中だったそうですが、たまたま店内に浮かんでいたピンク色のハート型の風船を見つけ、頼み込んで二つも手に入れて、翌朝、左右の手にそれぞれ持って、奈良国立博物館までやってきてくれました。

釈 風船をどう使われたのですか?

西山 ハート型の風船を胸の前に持ち、「死ぬと……」と言って手を離す。風船は舞い上がっていくけれど、天井に当たって止まる。そこで「ほら、そこにいるじゃないですか」と指差し、「そして、思い出すと……」と言いながら、風船に結んだテグスをゆっくり巻いていくと、風船は胸の前まで戻ってくる。思い出すことで、死んだ人にまた会える。

 ・・・

 話を始める前に、「皆さんはお釈迦さまを知っていますか?」と尋ねてみましたが、一番前の席の女性に「知りません」とはっきり言われました。弱ったなと思いながら、「ずっとずっと昔、今から二千五百年も前に、インドという遠い国にいた人で、私の大好きな人です」と前置きをして、話を始めました。話が終わると、施設の先生が「誰かに感想を言ってもらいましょう」と言う。・・・語りだそうとしたさっきの女性にマイクを向けると「やさしいお釈迦さまは私たちの心の中にいます」。私はその言葉に衝撃を受け、胸がいっぱいになって、ただ呆然と立っていました。一カ月が過ぎて、感想文が届きました。「わたしがしんだら、いちばんだいすきなおかあさんがきてくださいますね。しぬのはまだまだこわいけど、おかあさんにあへるのがたのしみです」。心にしみました。知的年齢が三歳から六歳だというのは間違いです。そんなことはありません。長い人生の蓄積なくしてこのような言葉は生まれません。

釈 はい。本当にそうですね。

西山 この話は京都新聞のコラムでも紹介していただいたことがありますが、不思議な後日談があります。たまたまネットを見て知ったのですが、大学生の息子さんを亡くしたあるご夫婦が、悲しみの中で京都へ旅行に来た。そして朝になり、ホテルのドアの下にあった京都新聞を開いてそのコラムを読む。「死ぬことはまた会えるということ」、これは私たちのために書いてくれたんじゃないかと涙が止まらなかったと。