ワクワクが道標

ええかげん論

 土井先生がバシャールみたいなことを言ってる・・・と思いつつ読んだところです。

 

P126

中島 ・・・戦後の政治家で、誰を尊敬するのかと聞かれたときに、必ず、総理大臣をしていた大平正芳という人をあげるんです。香川の出身の方なのですが、彼は、「政治家は六〇点でなければいけない」と言うんですね。

 ふつう、一〇〇点を取るのが立派な政治家となるんだけど、それは違うんだ、と。一〇〇点を取るということは、相手を全然認めていなくて、自分の考えが正しいんだ、と言ってそのとおりにやることになる。それは政治ではないと言うんですよ。自分も間違えているかもしれない。なので相手の言い分を聞いて、「なるほど、あなたが言うことにも理がありますわな」と話して合意形成をして、いいところに落ち着けていくのが政治というものであると。なので、六〇点でないといけない。

土井 先生、料理も六〇パーセントしか味付けしちゃいけないわけです。あとは自然にお任せ。

 ・・・そうするとうまくいきますから。それぞれが協力し合って、和が生まれます。自然と人間、料理と器、料理と料理が、協力し合うんですよ。これがハーモニーですよね。だから和食というのは、それそのものがハーモニー、民藝の大調和です。

 

P136

中島 本当にこの「ええかげん」というのは、あまねく通じる世界観のようなものですよね。

土井 そしてね、大事なことは、楽しむことですよね。昨日と同じことをしようと思っていないわけで、「何が出てくるかな」っていうところに、期待しますよね。これやっていたら、楽しいんですよ。いつも生き生きしている。

中島 そうですね。ホイジンガという哲学者がいるんですけど、彼が『ホモ・ルーデンス』という本で、人間であることの本質は、「遊び」であると言うんですね。楽しくって、遊んでいる。しかし、遊びと楽しさが表れるのは、ある超越的な力が、ふっとかかったような瞬間だという言い方をしています。

 この議論を、東京工業大学で教えていた岩田慶治という文化人類学者が発展させています。たとえば、けん玉が、スポッとはまる。これは、単なる遊びではない。スポッとはまった瞬間は、宇宙というものと、何かパッとつながった瞬間であると。なんかそういうものって、私たちの人生にあったりするなあというふうに、思いますね。

土井 楽しいとか、ワクワクするとかが、すごく道標になるんだ、ということですね。そしてまずは、「なんかあるぞ」って、そういうものの存在を知るということ。偶然は偶然じゃない、必然だという考え方も、もちろんありますよね。

 先生が『思いがけず利他』で紹介された、立川談志さんの「文七元結」も、まさに偶然やけど、「私、先、急ぐねん」と言っていたら、長兵衛と文七は出会ってないわけですね。そこで声かけてみるということから、偶然を取り込んでいく。そこをおろそかにするんじゃなくて、going my way じゃなくて、いろんなことを、「おもしろいなあ、おもしろいなあ」ってやっていたら、けっこう自分に合ったものと出会えて、どんな道を行っても、自分なりのものになっていく気がしますけどね。「こうでなければならない」じゃない。

中島 この「思いがけず」という感覚を、大事にしたいなあ、と思いました。

 

P163

土井 「あたりまえ」の前提条件が変わってしまっているから、これまでの「ふつう」とはすでに違うんです。そこに本当に気がついた人は、原点に帰るから、自ら変化したり、つくり上げたりすることができると思う。ゼロに帰るというのが、毎日の生活のなかでも大事で、「いつも新しい自分」みたいなことというのは、本当に大事なことだと思うんですよね。

 それと同時に原点に帰ることに対して平気になることも必要ですけでもね。だけど、自分のことやったら、そんなに怖がらなくてもいいじゃないか、と思うんです。

 

P171

土井 ・・・ようやく最近ですが、昨日の自分に頼らないで、毎日新しい自分になることで、クリエイションができる。新しいことはゼロから生まれてくるという感じがあるんですよ。料理することの大事を思います。それが自分の気づきとか、楽しさを呼ぶ、それが喜びに変わっていく。ですから、いちばん新しい自分は、自由自在に料理するおもしろさを、みなさんに伝えたいと思っているんです。