廣津留すみれさん

ハーバード・ジュリアードを 首席卒業した私の 「超・独学術」

「私の『要注意期間』は年末年始です。

 世の中は皆お休み、私も日本に帰省中。放っておくと5~6日間オフが続いて、停滞感が充満します。

 なので、ひたすら人と会う約束を入れます。朝から深夜まで、少しのすきまもなく詰める、まるでテトリスのようなアポ取りです。

 ・・・

 人とのご縁は、これからも私の元気の源であり続けるでしょう。」

 とあり、あまりにも自分とタイプが違うことにおののきましたが(;^_^A、なんだかすっきり爽快な気分になる本でした。

 素敵な方だな~と思いました。

 

P70

 短い時間単位で物事をこなすのが好きなせいかどうかはわかりませんが、「将来」という大きな単位で計画を立てることはしないタイプです。

 将来の自分像をくっきり描いてしまうと、自分の可能性を限定してしまうのではないか、と感じているからです。

 現在私はバイオリニストになっていますが、バイオリニストになろうと思ってバイオリンを続けてきたわけではありません。

 しかしバイオリンを続けてきたことが、意図しない形で私の将来を切り開いたことは確かです。

 バイオリンを習っていなければ、ハーバードに行こうとは思わなかったでしょう。学業と音楽を両方できる環境に身を置きたい、という思いが、ハーバードに私を導いたのです。

 ハーバードに入学した時点でも、音楽を専攻するとは思っていませんでした。生活の中心であった音楽よりも、別の分野を学びたいという気持ちのほうが強かったくらいです。

 専攻を決める2年次になったとき、最初に選んだのは応用数学。始めるなり、自分が数学に向いていないことを痛感してすぐ撤退。その後に試したのは社会学。そしてグローバル・ヘルスの魅力を知りました。

 このあたりでようやく、音楽をメインにして、別の学問を掛け合わせるのが一番エキサイティングだ、という考えに達しました。まさに方向転換の連続です。

 そして卒業後、音楽を極めたいと思ってジュリアードに進んだのはご存じの通り。

 いたってフレキシブルな道を歩んできたわけですが、その結果、過去の私からは思いも及ばない場所にたどり着きました。

 もし高校生の私に、「10年後、あなたはニューヨークの音楽シーンに身を置いていますよ」と言ったら、どんなにビックリすることかと思います。

 今も、ずっと演奏家として生きていくかどうかは決めていません。

「これ、面白そう」と思ったら、またまた方向転換する可能性は大いにあります。

 

P192

 ・・・音楽において「伝わる演奏」とはどのようなものかについてお話ししようと思います。

 まず、技術と表現力というものは、かなりシンクロするものです。

 ・・・

 では技術が優れていれば伝わるかというと、そこにはもう少し、プラスαの部分が必要です。

 いくら技術が素晴らしくても、「愛想」のない演奏はダメだ、と私は思っています。

 もっと上手な人はいるはずなのになぜか目が離せない、聞き入ってしまう―そんな演奏には必ず、愛想があります。

 では愛想とは何だ、と問われると難しいのですが……。

「本人が楽しんでいること」と、「聴く人に楽しんでもらおうと思っていること」の2点がそろっていれば、愛想のある音になると思います。

 ちなみにそういう演奏者は、表情も豊かです。シリアス、重厚、軽快、ユーモラス、楽曲の雰囲気に合わせて本人の顔つきも変わります。とくに、面白いパッセージが出てきたときには無意識に微笑みが出ることも。

 私もこういうときにフッと笑顔になってしまうのですが、そのとき同時に、弾いている私の楽しさがお客様に「伝染」すればいいな、と思っています。

 ・・・

 笑顔にはもう一つ、私自身の「美学」があります。

 本番の舞台に立つまでは、膨大な練習を重ねた努力の期間があります。しかしその過程を見せず余裕で笑顔を見せられたら最高に素敵だと思うのです。

「精魂尽くして颯爽たり」という言葉が、私の座右の銘です。

 苦も無く高いレベルの演奏ができるくらい、精魂尽くして努力する。

 その努力の跡をかけらも見せず、颯爽と笑顔で演じる。

 そんな演奏家でありたいと、いつも思っています。