錯覚する脳

錯覚する脳: 「おいしい」も「痛い」も幻想だった (ちくま文庫)

 前野隆司さんのこちらの本も読みました。

 

P25

 私が前著で述べたかったこと(そして、もちろん本書でも掘り下げたいこと)を、機能と現象に区別して言うならば、「機能としての意識は受動的であり、現象としての意識はイリュージョンである」ということになる。

 

P114

 ・・・聴覚は、耳から入ってきた二〇ヘルツから二万ヘルツまでの空気の振動を検出し、両耳の情報を使って音源の位置を同定するとともに、音色や母音・子音のクオリアを生成するものだ。

 ・・・

 聴覚の検出原理は以下の通りだ。空気の振動が、鼓膜の振動に変換され、さらに耳小骨を通って、内耳にあるカタツムリ状の蝸牛に伝わる。そして、蝸牛の中にある基底膜の振動が、ここに並んだ、硬い毛の生えた有毛細胞で検出される。基底膜のうち、どこが振動するかは周波数ごとに違うので、結果として、様々な周波数の振動を、周波数帯域ごとにフィルタをかけて検出する事に相当する。

 ここで、あたりまえのことを強調しておきたい。耳で検出されるのは、音源で発せられた空気の振動ではなく、あくまで、耳のところに伝わってきた空気の振動という物理量に過ぎないということを。耳は、耳のある場所において、何ヘルツの振動がどのくらいの振幅でどのくらいのタイミング(位相)で起こっているか、ということを検出しているに過ぎない。そのような検出器が、顔の両側にそれぞれ一個、あわせて二個あるというわけだ。

 それらの振動は、脳幹を経由し、大脳皮質の聴覚野に送られる。

 要するに、・・・聴覚は、耳に伝わってきた空気の振動を、耳の振動に変換して検出する感覚だというわけだ。

 重要なのは、では、どうやって音源で音が鳴っていると感じられるのかという点だ。それは、大脳皮質の聴覚野のおかげだ。

 聴覚野はたいしたものだ。単なる両耳の振動から、二つの音の位相差や、周波数特性の特徴によって、音源の位置や、音の質感や、言語としての音を作り出すことができるのだ。つまり、逆モデルだ。二つの耳の時点でこのような振動が生じたということは、音源の位置はここのはずであり、そこで発せられた音を総合するとこのような音色であったはずだ、というように、結果から原因を推定する計算が瞬時に行われている。

 耳は、結果として伝わってきた振動を検出することしかできないのだから、あきらかに、そこから原因であるところの音源の挙動を逆算するしかない。原因であるところの音源の位置や音色など、直接計測していないのだから、直接的には知る由もない。明らかに、耳に伝わった別の信号から、時間を逆にさかのぼって、推定しているとしか考えようがない。

 ・・・

 耳では耳に届いた空気の振動を検出しているだけなのに、音のクオリアは、音源から聞こえるのだ。

 この事実の衝撃をご理解いただけただろうか。

「会話相手の話し声は相手の口から聞こえる」なんてあたりまえだ、と思われた方もおられるかもしれない。

 逆に、「『会話相手の話し声は相手の口から聞こえる』なんて、これまであたりまえだと思っていたが、なんて衝撃的なことだったのだ!」と思い知った方もおられるかもしれない。

 私の場合、ある日突然その事実に気付き、愕然としたのを覚えている。

 ・・・

 よろしいだろうか。そもそも、「音」などという物理量はないのだ。明らかにない。あるのは空気の縦振動だけだ。

 ・・・

 衝撃的なのは、なんと、自分の身体から離れた音源の位置にクオリアが生じるという点だ。「耳で音を聞く」というが、そうではない。人は、音を聞くとき、耳から聞こえたと感じるのではなく、音源の位置から聞こえたと感じるのだ。

 ・・・

 音などという物理量が存在しないところに、音のクオリアを感じるということは、そのようなクオリアがそこに生じたかのようにイリュージョンとして感じるように、私たちの脳ができているからとしか考えようがない。私にはそう思える。