脳と魂

脳と魂 (ちくま文庫)

 養老孟司さんと玄侑宗久さんの対談本、興味深く読みました。

 

P99

玄侑 ・・・基本が真ん中にあって、そこから学んで応用に行くのが正しいって思い込んでいる。だけど、現実には応用しかなくて、様々な応用から抽出した、どの現実にも属さないフィクションが「基本」ですよね。そのフィクションから先に学ばなきゃならないっていうのは、私は「脳化社会」だと思うんですよね。

 

養老 今の話は甲野善紀さんの話にそっくりですよ。武道の基本の話がまさにそれ。基本なんて、そんなものはないって言ってますよ。

 

玄侑 書道もそうです。最も自然から遠い楷書から学ばせますよね。文字ができてきた順番から言うと、草書がいちばん最初のはずなんですけど、いちばんフィクション性が強い楷書から学ばせて、それをまた不自然に崩していく。大人が書く草書は、だから最も自然から遠いです。

 

養老 僕はそれ、数学教わった時にしみじみ思いましたよ。公理から教えるでしょ。これはまったく逆なんです。たとえばユークリッド幾何学幾何学が発達してくる過程で、最終的に公理に向かって煮詰まっていくわけですよ。それを教える時は逆に公理から教える。「二点間の最短距離は直線である」。いきなりわけわかんない(笑)。「線は点の集合である」。こりゃわかんねえわ。

 

P162

玄侑 ・・・文部科学省、どこから持ってくるのかわかんないですけども、今彼らのうたい文句は、子供に個性と自立ですよね。これは困るなあと思うんですけど。

 

養老 だから、その個性ってやつですよ。日本には個の哲学がないところに、戦後になってその「個性」というのを持ち出してきたんです。この間、僕、職安の垂れ幕見て怒ったんだ。「自分に合った仕事が見つかるかもしれない」ってでっかく書いてあるんだよ。ふざけんじゃねえって。俺なんか仕事に合わせるのにいかに苦労してきたか(笑)。仕事ってのはお前のためにあるんじゃなくて、世の中が上手に動いていくためにあるんだから、てめえに合った仕事だなんて、ふざけたこと言うんじゃねえって、ほとんど小言幸兵衛になっちゃったんだけど。僕は、一応これでも教育関係の畑なんだけど、暗黙のうちに考えてきたことは、人間は当てにならないし、変わるものだということですよ。

 

玄侑 仏教でも、それは大前提ですよね。諸行無常ですから。人間だけでなく、あらゆるものが状況によって相互依存的に変化しますでしょう。瞬時として同じままではあり得ないわけです。