自分と世界が地続きになっている

シン・ファイヤー

 つづきです。

 

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稲垣 私、すごく好きな言葉があるんです。朝日新聞の大先輩で、天声人語を書いていた辰濃和男さんの『四国遍路』という名著があるんですけど。・・・本当に良い本だったんですね。

 で、いろんなお遍路さんがいて、みんな多くは語らないんだけど、いろいろあった、大変なことに見舞われた人が多いんです。で、辰濃さんがその中のひとりに「みんなが良くなれば自分も良くなるんだから」と言われたという。それが衝撃的な言葉として紹介されていたんですけど、私もその言葉にめちゃくちゃ影響を受けました。

 今の世界って、他人よりも良い服を着るとか、他人よりもいいもん食うとか、他人よりも広い家に住むとか、それがなんとなく「良い」とされているじゃないですか。・・・要は「ワンランク上」っていうやつです。・・・でも、よく考えたら「他人よりも自分が良くなる」ことの究極って、自分がめっちゃでっかいお城に住んでいて、周りがスラムみたいなことじゃないですか。それが究極の幸せってことになる。でも、それ、どう考えても危険でしょうがない。

大原 おちおち寝てらんないですね。

稲垣 そうでしょう?幸・不幸以前に、ほんと危険じゃないですか。で、そう思ったときに、全員が良くなっていけば、みんなニコニコしていて、他人に襲われることもないし、嫉妬しあったりする必要もない。そう考えると、確かに「他人が良くなれば自分も良くなる」って超現実的じゃん!と思ったんです。・・・

 私がお金に関して考えているのは、自分のために使うお金も必要。でも、他人のために使うお金も必要。このふたつがあって初めて、自分が幸せになれるんじゃないかと。

 ・・・

 ・・・自分が今みたいな考え方が出来るようになったのは、私が満ち足りているからですよ。そこでみんな「そりゃ稲垣さんは昔は高い給料をもらっていて、今だってそこそこ稼いでるんだから、満ち足りているんでしょう」って言うんですけど、そうじゃなくて、私はお金を使わなくても幸せになれる方法をいっぱい知ってるから満ち足りているんです。だから、これを私じゃなくて扁理さんが言ってくれると、みんな「なるほど……」って納得してくれると思う。

大原 たしかに(笑)。

稲垣 きっと聞く耳を持ってくれる。扁理さんと私はやっていることが同じで、ふたりとも幸せをお金に頼っていないので、お金が自分のところにたくさんなくても幸せだと思っている。つまり、人生いろいろ浮き沈みがあっても、いつも相当満ち足りている人。お金を稼ぐ/稼がないに関係なく、自分自身が満たされているので、他人に対して「あいつが得しやがって」とか思う必要がなくなったんですよね。

大原 うん、僕も満ち足りています。

 ・・・

稲垣 「印税は使わない」っておっしゃってましたよね。印税はどうしてるんですか?

大原 ひとつは本の仕事関係の出費に積極的に使います。・・・あとはこうした対談や、メディア出演のために上京する時の交通費・宿泊費。そもそも本の仕事をしていなかったら発生していない出費なので、それは当然、印税から出すことになります。

 ふたつ目は税金・年金です。これも、本の仕事をしてなかったら収入が低すぎてほぼ発生していない出費なので。・・・

 残りは、人に渡すお土産やプレゼント。・・・寄付もします。

 この分野は、とくにコロナ禍のときにたくさん出しました。というのも、僕はお金を使うときにお金の気持ちになって考える、っていう話を何度かしてますけど、同じ1万円を使うなら、世の中にお金が有り余ってるときよりも、お金が必要とされてるのに出回ってないときに使った方が、価値が爆上がりして超喜ばれるじゃないですか。その方がお金も嬉しいはず。・・・

 身近なところでは、友人たちが仕事が出来なくなったので、たとえばミュージシャンなら応援するためにCDを買ったり、パン屋さんなら通販でパン買うとか。・・・

 ・・・

 ・・・考えてみたら、臨時収入があるからといって自分のためだけのことにはほとんど使ってないですね。やっぱり、このお金は自分のやってることを面白がってくれる人が出してくれたお金なので、良い形で社会に還元する責任があると思ってます。

 

P309

大原 最近、『贈与をめぐる冒険』(岩野卓司・著)って本を読んだときに、贈与っていうのは目に見えるモノだけじゃなくて、目に見えないモノも実はたくさんもらっているということが書いてあって。それはたとえば教育だったり、言語だったり、この空気とか太陽の光、そういうものも含めたらめちゃめちゃギフトをもらっている。そう考えたら、もうこれ以上何を欲しがることがあるだろうか?って思ったんです。・・・

稲垣 ・・・そのことになかなか気づくチャンスのない人が多い・・・扁理さんはどうしてそこに気づけたんですか?

 ・・・

大原 ・・・振り返ってみると、世界に対するある種の信頼が生まれたのは、隠居後なんです。お金が足りないとブーブー文句言っていた頃は、自分と社会が分断されていたんですよ。

 なぜ分断されていたかといえば、自分の一挙手一投足が、良いことも悪いことも、どんな小さなことでも、この世界とつながっていて、世界に対して影響を与えていくっていうことに気づいていなかったんです。・・・ただ自分はひとりで生きてると思っていたから、ひとりしかいない世界では当然、個人的な損得だけが何より大事だったんですよね。

 で、なんでひとりで生きているなんて思ってたかといえば、自分にはこの世界を良くする力もあるし、悪くする力もあるということを信じていない、つまり自分の力を過小評価していたからなんです。・・・

 ・・・

 ・・・隠居してからは、時間が有り余ってるから、たとえばお年寄りとか障がい者の人を助けるじゃないですか。そのことで目の前の人が笑顔になる。感謝される。いろんなものが返ってくる。自分のやったことが確実に世界に影響するのを目の前で見せつけられるし、またそれに気がつく余裕がある。一つひとつは本当に小さなことだけど、自分には何かを変えていく力があるんだと、助けた人たちに教えられる毎日になったわけですよ。そうするとだんだん、自分と世界がリアルに地続きになっていることが、実感をともなって信じられるようになりました。これ、ガンディーも言ってたけど、見たいと思う世界の変化に自分自身がなればいい、って話で。そう思えることこそが世界に対する信頼で、そうなったらもう、あなたの得=わたしの得。個人的に足りてるとか足りてないとか、そんなのどうでもよくなるんですよ。