コトバが引き出す身体感覚

身体は「わたし」を映す間鏡である

 ちょっとしたことに見える違いが、こんな風に表れる・・・面白いです。

 

P130

 まるでマジックショーのよう……ときどき、そんなほめコトバ(と解釈しています)をいただくことがある私の講座の中で、会場の笑いを誘い、かつ、だれもがやってみたくなる人気の〝メニュー〟の代表といえば、やはりこれかもしれません。

「くっつく」と「ついていく」の違いを体感してみよう!

 聞いただけでは、どこがどう違うかよくわからない、「くっつく」と「ついていく」。

 ところが、身体を通せば、こんなにも違うのか!と驚くぐらいのパフォーマンスになるのが、この二つのコトバが誘い出す動きなのです。

 例によって、やり方はとても簡単です。

 まず二人一組(Aさん、Bさんとします)になり、向き合って立ちます。

 Aさんが片手を手の内(私の呼び方です。一般的にいう手のひらのこと)を上に向けて差し出し、Bさんはその上に自分の手の内を重ねます。これで準備は完了。次は動きからのミッション。

 Aさんの使命は、手の内を前後左右上下、どんな方向でも構わず動かすこと。それだけです。Bさんは、Aさんの手の内の上に自分の手の内を重ねたまま、相手の手の内に「くっつく」と「ついていく」を交互にやってみる。それだけです。

 さて、なぜこんな単純なゲームのような動きが〝マジックショー〟に見えるのか?ということですが。

 Bさんは、コトバにするかどうかは別にしてこう考えるのではないでしょうか。

(「ついていく」をするには、相手の手の内の動く速さに負けないように、自分の手の内も動かさないといけない……)

 ・・・

 テニスや卓球のようなゲームでは、サーブをする側が圧倒的に有利な理屈と同じで、受身的に対応しなくてはならない側の動きは、少しずつ遅れていくのがふつうです。

「ついていく」はとても無理……やってみた人も見ている人も、納得の結果です。

 ところが、「くっつく」になると、がぜん、状況は一変します。Bさん役の人が上手なら、Aさん役がどう動こうと、まるで手の内に吸盤がついているかのように、相手の手の内から離れません。まさに「くっつく」状態なのです。

 周りで見ている人も、この予想もできない一変ぶりに、うれしい驚きを隠せず、会場は爆笑の渦に……。なかなか文字では表現しきれませんが、「くっつく」と「ついていく」が〝マジックショー〟と言われる理由が、少しはお伝えできたでしょうか。

 ・・・

 ・・・「ただ、くっついておこうと思っただけなんですけど、変わったんです」とは、体験した多くの方の感触です。

 ・・・

 もう一つだけ、コトバが引き出してくれる身体感覚についてお伝えしておきたいことがあります。それは、「いる」という動詞についてです。

 ・・・

 たとえば、みなさんがある部屋の中で二度、立ち姿勢をとるとします。

 最初は「ここに立つ」と思ってとる立ち姿勢、次は「ここにいる」と思ってとる立ち姿勢です。傍目にはどちらも同じような立ち姿勢ですが、実は身体の安定感をチェックすると、かなりはっきりとした違いが表れてくるのです。

 まず「ここに立つ」の立ち姿勢の場合。・・・ちょっと安定感が足りず、ぐらついてしまう人が多いはずです。・・・

 では。今度は「ここにいる」です。・・・不思議なことに実にずっしりとした存在感があるのです。・・・

 ・・・

 ・・・考えてみると、「ここに立つ」には、「立つ」以外の動作の指示(どのように立つか)が含まれていないために、周囲の状況(いま立っているところが平地なのか、岩場なのか、揺れる足場の上なのかというような)に対して、臨機応変に対応しにくいのかもしれません。「立つはわかったけど、どういうふうに立ちたいのかもっと指示がほしい」……そんな補足説明を、身体としては求めているようにも思います。

 ・・・

「いる」は注意が濃すぎたりも淡すぎたりもせず、いわばニュートラルポジションと表現されるような状態と考えることもできます。もしくは、あらゆる動作に対応するための身体の状態を引き出してくれているといえばいいでしょうか。