豊かさとは

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう! (だいわ文庫)

 印象的なエピソードでした。

 

P234

 ビルマミャンマー)で「オレは大金持ちだ」と(自分で)言う人と知り合い、その人の家に招待された時のことです。その家は、植民地時代にイギリスが建てたがっしりとした造りの2階建てで、「当時はさぞかし豪華だったんだろう」と思えました。ただ残念ながらその時点では既に荒れ放題で、外壁のペンキははげ落ち、窓枠やドアも壊れていました。内部には壊れかけの家具がぽつんぽつんとあるだけで、天井にも壁にもシミがあります。

 それでもこんな家に住めるのは、彼が「ビルマではお金持ち」である証拠です。話の中で彼は自分のことを「オレは金持ちだ」と言い、私は自分のことを「私は貧乏なの」と言っていたら、ふと彼が、「じゃあ、おまえはオレと結婚してビルマに残ったらどうだ?」と言い出したのです(もちろん冗談です)。

「ありえないよ!」という私に彼は、「おまえは家を持っているのか?」と聞きました。「持ってない」と答えます。私が当時住んでいたのは会社の寮で、部屋の広さはなんと3畳ほどでした。そこで「私の住んでいる部屋は、この家のバスルームより狭い」と言ったら大笑いされました。

 彼は続けて聞きました。「おまえは車を持っているか?」と。もちろん持っていません。彼は(これまたすごいポンコツなのですが)自動車を保有していました。「おまえはカネを持っているか?」、彼は自分の鞄を開けながら聞きます。私は(鞄の中にむき出しに詰め込まれた現金の束に驚きながら!)「そんな大量のお札は生まれてからまだ一度も見たことがない!」と答えます。そこで彼は大笑いして言うのです。「じゃあ、なんでオレと結婚したくないんだ?オレは家も車もカネも、全部持ってるんだよ」と。

 結婚云々の話は冗談なのですが、私はしばらく頭の中でこの会話を反芻してしまいました。なぜなら、「すべてを持っている」と言う彼を、私は全く羨ましいと思わなかったし、自分より豊かだとも思わなかったからです。それはなぜなのでしょう?

 ・・・そしてその理由を考えてみました。

 ひとつは、彼が持っているお金がビルマの外では全く通用しないお金だということです。私の持っている日本円は(たいした額ではないけれど)海外旅行をしたり、海外から必要なものを買うのに使うことができます。・・・

 もうひとつは、私が日本のパスポートのおかげで、世界のどこにでも自由に行くことができるからです。・・・この自由度も、私が「自分は彼より豊かだ」と感じた大きな理由です。

 さらに、希望の格差も大きいと思いました。ビルマは軍事政権下で政治が安定せず、海外からも経済制裁を受けていました。・・・

 ・・・ビルマでは、独裁政権が揺らぐ気配は(少なくとも当時は)全くなく、・・・しかも、だからといって勝手に国をでることさえできないのです。

 一方の私は、当時、好景気の日本に住んでいる20代の若者で、なんの根拠もなく自分の未来は明るく輝いていると信じていました。世界中を旅行して、さまざまな人と出会うことができる未来を心から楽しみにしていました。

 ・・・

「何を持っているか、ということが、これほどまでに豊かさとは無関係なのだ」と気がついた瞬間でした。それに気がついて一瞬、言葉が止まってしまった私の表情を、彼が試すように見つめていました。そしてその表情を見て、私もようやく気がつきました。彼もわかっていたのです。

 というより、彼はむしろ私に伝えようとしていたのでしょう。「家や車やお金なんて持っていても、私の生活は決して豊かとは言えない。豊かな人生というのは、あなたのように希望や自由や選択肢のある人生なんだ」と、彼は言いたかったのです。

 私は神妙な気分になって「(あなたとの会話から)、私はとても大事なことが理解できました。どうもありがとう」と言いました。彼は黙って笑っていました。