もし目が見えるようになったら?

46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生

 近年研究が進んで、マイク・メイさんのような失明の仕方であれば、手術で見えるようになる可能性が出て来た、と手術を提案されたとき、こんなことを考えたという話です。

 

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「仮定の話として……」。ジェニファーはついに口を開いた。「うまくいく可能性があるかどうかもまだわからないけれど、暇つぶしに想像するだけでもしてみない?もし目が見えるようになったら、どんな感じかしら?あなたはなにを見てみたい?」

 ・・・

 ・・・二人とも黙って、それぞれ想像にふけっていた。しばらくして、息子たちを見たいと思うかとジェニファーが尋ねた。

「もちろんだよ」と、メイは答えた。「その経験をあいつらと一緒に味わいたい。一緒に月面に足を踏み出すような気分だろうな。でもおもしろいのはね、あの子たちの姿を実際に見る日が来ても、いま見えている以外のものが見えるようになるとは思えないんだ。二人がどんなふうに見えるのか、もう正確にわかっている気がする。肉体上の特徴だけでなく、あの子たちの存在全体がもうしっかり理解できている気がするんだ。そういう意味では、目が見えるようになってもなにも変わらないのかもしれない。不思議に聞こえるだろうね。でも、視力にせよほかのなんにせよ、これから新しくなにかが加わったところでいまさら変化がないくらい、あの二人のことはとても愛しているし、よくわかっているつもりだ」

 

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 視力が戻ったらどんなメリットがあるだろうかと、考えてみた。いまでも行きたい場所にはだいたいどこへでも行けるし、見知らぬ場所に出かける冒険も大好きだ。それに、やりたいことはなんだってできる。目が見える人より上手にできることだってあるくらいだ。ジェニファーと二人の息子のことが文字どおりの意味で「見えて」いるという確信に、揺らぎはない。言い換えれば、一人の人間を本当の意味で知り、その人と心を通わせるという点では、妻子との関係に不足している部分はないと思っていた。

 視力を手にすることに強い魅力は感じなかった。目の見えない男が視力が欲しくないと言えば、世間の常識に照らすと常軌を逸していると思われることはわかっていた。だが、メイの考えは違った。目の見える人が五感以外の新しい能力をもらえると言われたら、どうだろう?未来を予知する能力を授けようと言われたら?最初は、胸がときめくかもしれない。でも、満ち足りた人生を送っている人間が本当にその新しい能力を欲しいと思うだろうか。新しい能力をいざ手にしてみたら、想像していたものとまったく違ったという危険はないのか。いま幸せな人生を送っているのに、ほかの人の心を読める水晶玉なり、探知機なり、超能力なりを手にしたいと思う人がどれだけいるだろうか。新しい能力を与えようという申し出に「イエス」と返事をする人がどれだけいるだろう。メイにとって、視力はそういう新しい超能力と同じだった。目が見えなくても、人生になんの不足もなかった。