いわれのないバッシングを受け、会社存続の危機に陥ったところから、今は真逆の状態へ、地域に喜ばれる会社になるまでの道のりを読みました。
すごいなーと思うことがたくさん書いてありました。
P92
私が社長になって最初に掲げたスローガンは「脱・産廃屋!」でした。世間のイメージを打ち破る「産廃屋らしからぬ産廃屋」を目指そう、ということです。
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そこで思いついたのが、地域の人たちに工場を見学してもらうことでした。「見えないから怪しい」というのなら、「見てください」というわけです。
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最初は、なかなか工場に見学に来る人が集まりませんでした。
そして、やっと来てくれた最初の見学者は、私たちに批判的でした。・・・
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初期の見学者の方々は、全国の産廃物処理施設を見て回っていて、ある意味、目の肥えた方々でした。それだけに、私たちの取り組みが、他の産廃処理会社と違う部分も敏感に感じ取ってくださいました。
「すごく整理整頓が行き届いているよ」
「あそこまで、きれいできちんとした産廃施設は、ほかに見たことがない」
オピニオンリーダーの方々が、そんな情報発信をしてくれたことで、今までゴミ処理工場に関心を持たなかった一般の人たちも見学に来てくれるようになったのです。
予想外のことでした。
強い批判のなかからこそ、共感が生まれるのかもしれません。
当時を振り返って、思います。
「あなたたち、ちゃんとやっているの?」と、厳しく観察するからこそ、「あら、意外と頑張っているわね」「本当に大変な仕事なのね」と、共感を示す人たちも出てきた。
この小さな声を大事にしたい。広げたい。私は心底、思いました。
「敵意」を持っているとは、少なくとも「関心」があるということです。
よく考えてみれば、ダイオキシン騒動の最中で、私が何より憤りを感じたのは、産廃処理に対する無関心でした。
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私たちの工場を見学に来た人たちは、私たちに対するスタンスはさておき、産廃処理が必要であるという事実は直視されていました。無関心ではなかったのです。
だからこそ、私たちの批判者であると同時に、最大の理解者にもなったのです。
「冷めた無関心」より「熱意ある批判」のほうがいい。傷つくことを恐れて批判から逃げ出すのでなく、批判を真正面から受け止めて、真の理解者を得たい。私はそう考えます。