愛あふれる無関心

究極の魂の旅 -スピリットへの目覚め-

印象に残ったところです。

 

P203

 私のスピリチュアルな学びは急速に進んでおり、過去世での体験を浄化し、最も厳しくて困難な教訓の一つを学んでいました。それは、愛のある離別です。かつてイシスは、14歳の少女の純真さと英知を通じて私に、愛し続けなくてはいけないといいました。自分の心を閉じたまま、スピリチュアルの道に留まることはできませんでした。結局、神は愛という感情なのです。他人から愛が得られずとも、私は自分の中に愛が流れるようにする方法を、ときに残酷なやり方であっても見つけなくてはいけません。

 目には見えないマスターに対し、かつて私は、「失敗や試練と苦難のある私たちを、どう見ているのですか」と聞いたことがあります。

 彼らは「愛あふれる無関心で見ている」といいました。さらに「私たちは批判を克服した。私たちの愛、喜び、至福は、他人の思考、感情、行動で決定づけられるものではない。私たちは、愛、喜び、至福を求めまず、私たちが愛になる」とも答えました。

 別のマスターはかつて、「あなたに対して誰かが力を持っているとしたら、その唯一の理由は、あなたが彼らに何かを求めているからだ。愛、喜び、受容、承認、安心であれ、それらすべては自分の内側で見つかる」と教えてくれました。

 私は、これらを理解するための特訓を受けていました。・・・私は、ドロドロな人間関係の深い穴に飛び込み、そこから這い上がって、洗い流すことを通して、泥だらけのマスターになりつつありました。社会から離れ、洞窟にこもって禁欲的な生活をしながら、至福の喜びを維持するのは簡単です。それを社会意識の最前線で行うことは、別の話です。・・・世界とその混沌に囲まれているにもかかわらず、自分の中心軸を維持することは、かなり難しいことです。