ご褒美のような

あたらしい東京日記

「あれは、そんな時間にやってきた。」という体験について。
 たぶん、この感覚わかります。

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 ・・・わたしは日曜日か何かに、ひとり、本を買って、窓際の席でお茶を飲んでいた。青山通りを、女の人やカップルや家族連れが歩いていた。わたしは、それらを見るともなく見ていた。
 そのときだった。
 わたしは、「完全に」、あることが、わかった。
 それは、すべての人、この世の人、一人として残らず、すべての人が、完全に、神さま(抵抗があれば大自然のような存在)に、完全に愛されているのだ、と、わかったのだ。
 完全に、という感覚をどうことばにしたらいいのか。でも、完全に愛されているということを完全にわかった、としかいいようがない。一部の隙もなく、お重に、新鮮な魚の白いすり身をていねいにつくって、へらかなにかで、それらをぴっちりとしきつめたみたいな感じで、わかったのだ。ぴっちりと、みっちりと、完全に。
 きっかけなどない。突然それは、降ってきた。
 そして、わたしは、なんだかわからないけど、それは真実だと確信した。
 もう一度いうけれど、すべての人が一人残らず、完全に、愛されていると、突如、確信したのだ。
 それがわかったからといって、涙がほろりとこぼれたりとか、誰かに大急ぎで電話したりとか、人生観が突然変わって、仕事を変えようと思ったりだとかということは何もない。少なからず感動はしたけれども、「へえ」と思って、コーヒーを飲んで、本を読むでもなく、ぶらぶらと喫茶店をあとにしたと思う。
 ・・・
 先日、それとはまた別に、夕方に空を見ていて、とてつもなく「甘い感覚」に全身が襲われた。理由はない。きっかけもない。その甘い感覚は、夜にまで続いて、ただひたすらに、風や目にする葉までもが甘く、帰り道さえも歩いているだけで、幸福感に包まれた。そういう瞬間が、数えるほどだけどときどきあって、なんだか最近ではその回数も増えてきた気がする。
 なにか解答めいたものを聴いたり、甘いものに包まれることを、霊的な体験とかいうんでは、わたしはくくりたくない。おそらく、自分が、生まれる前に用意してきたものにいよいよ取り組むとき、もっといえば勇気というものを出す瞬間に、神さまが、ご褒美のように、「ほい」と投げてくれるようなものなのかもしれないと思う。・・・
 生きているって、ほんと、ときどき、圧倒的なのだなあ。