「できる」と「できない」の間の人

「できる」と「できない」の間の人

 印象に残るお話がたくさんありました。

 

P5

 いつも何かと何かの間に引っかかって、何者にもなれずにいる。いつもジタバタともがくばかりで、どこにも根を張れず、肩書きもないまま齢だけ重ねてきた。

 そんなふうにいつも中途半端なのは、大事な何かが、私に欠けているせいだと若い頃から思っていた。やると決めれば体当たりでぶつかっていくが、結局、どれも長くは続かない。書くことだけはずっと続けてきたが、生業にはならずにきた。

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 子育てがひと段落して、さあ、働くぞとグイと足を踏み出したら、そのまま6年間の「うつ病」生活に転がり落ちた。一度は元気になったけれど、50歳のとき、「うつ病ではなくレビー小体型認知症(レビー小体病)だった」と医師に言われた。その後、長いトンネルを這い出て、この病気について伝える活動を始めたが、コロナ禍でそんな場所も消えた。

 こう書くとボロボロの道のりに見えるけれど、曲がりくねった道の中には、道端の花のように美しいものも、夜空の星のように輝くものもあった。生きていてよかったと、私は何度も思ってきたのだ。

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 人間は、弱くてちっぽけだけど、それぞれが、かけがえのない大切な人なんだ。間違いなくそうなんだよと、私は、言葉にして伝えたかった。弱っている人にも弱っている自分にも。

 

P39

 あるとき、樹木希林さんが、がんと生きる暮らしを語るのを聴いた。

「それでもズーンと落ち込むことがある。そういうときは、笑うの。笑うの。笑うの」

 そのまま冷凍保存して、生で何度でも聴きたくなる、あの独特の語り口。

「そしてちょっと自分の頭なでるの。そうすると笑っているうちに、井戸じゃないけど、だんだん水がこみあげてくる」

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 ある日、布団の中で目を閉じて、左手で自分の頭をなでてみた。利き手と逆の手なら少しは不自然さが減るのではないかと思って。意識は手ではなく髪や頭の感触に向けた。

 すると、まったく予想していなかったことが起こった。私は、たちまち時間を飛び越えて、母に頭をなでられていた。ここにいない母の存在を感じ、ここにいない母のぬくもりを感じた。・・・

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 私の中には、いく層もの時間が、同時に存在しているのだなと思った。・・・

 

P75

 私は、「強い人」と言われることが、時々ある。病気の絶望から這い上がってきた日記を本(『私の脳で起こったこと』ブックマン社/ちくま文庫)にしたからだろう。でも、多くの病人は、診断のショックからいつか抜け出していく。病気になっても生活は続いていくし、人の心持ちは時間とともに移り変わっていくものだ。

 若い頃からずっと疑問だった。「強い人」って、いったいどこが、どう強いのだろう。・・・

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 人のために、できた方がいいと思うことをできない自分をいつも不甲斐なく思う。でも人は誰にも向くこと、向かないことがある。向かないことを「弱さ」と思うことは止めようと思う。自分はそういうふうにできているのだから、自分に向かないことは、しない方がいい。自分が壊れるようなことを避けるのは、自分を守るために必要な手段なのだ。

 そう思えるようになったのは、治らない脳の病気になってからだ。もう少し早く気づけたらよかったが、仕方がない。今は、人からどう思われても、「自分の体(脳)は、自分で守るしかない」と自分に言い聞かせるようになった。だから知らない人からの相談は受けていない。

「樋口さんは、どうして認知症カフェ(相談)をやらないんですか?」

 最近、また聞かれた。これで何度目だろう。若年性アルツハイマー病と診断された本人が主催する集まりが全国にできて、素晴らしい効果を上げているからだ。

「そんなことしたら、死んじゃいますよ~」

 私は笑って本音を言う。そして、いつもきょとんとされる。

 

P93

 歳を取ると解決の難しい問題ばかりが途切れることなく起こり続ける。楽しいことは何もない……と勝手に断定する頃には、ネガティブ思考の天下だ。

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 でも、私は慌てない。私は知っている。これは、「性格」とか「心」とか「精神」の問題じゃない。私の脳の「うつ気分スイッチ」がオンになってしまっているだけだ。私自身には、何の問題もない。すべての原因は、スイッチの不具合にある。

「メンタルが弱い」だなんて、実態のない言葉を信じちゃいけない。これは、単純な脳のバグなのだ。私の場合、少し時間が経てば自然にスイッチは切り替わる。切り替わればちゃんと元に戻る。心配ない。

 それでもスイッチは早めに替わった方が楽なので、それを助けるために脳にエサをやる。人によって違うだろうが、新しいこと、わくわくすることが、私の脳の好物だ。・・・

 そこである日、思い立ってニラの種をまくことにした。「放っておいても雑草のように育ち、何年も収穫できる」という情報が、主婦心をくすぐる。・・・

 ふかふかの土を触るのは心地いい。途端に気持ちが柔らかくなっていくのがわかる。・・・

 

P156

 できなくなったことに焦り、がんばればがんばるほど泥沼に沈み、息ができなくなる。そのことを、私は、病気になって知った。

 もちろん誰にも踏ん張り所はある。病人にだってある。火事場の馬鹿力を出さなければ切り抜けられないことも、子育てや介護をしている中では、たびたび起こる。

 それでも、固く握り締めた「がんばらなければ」という思いに、自分自身で鉈を振り下ろさなければいけないときがある。困難には、種類があるのだ。

 

 主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと

 変えられるものを変える勇気と

 その両者を見分ける英知を我に与え給え

 

 有名な「ニーバーの祈り」だ。

 自分一人の力だけでは、変えられないものがある。・・・

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 がんばることの素晴らしさだけを、私たちは小さい頃からいつも教えられてきた。でもそれと同じくらい、負けること、諦めること、逃げることも大切だと教えられ、練習できたら良かったと思う。

 

P174

 長年できたことができなくなってきたとき、「バカになった。情けない」と落ち込む人は多い。「人に認知症だと知られたくない」と引きこもってしまう人は今も少なくない。

 でも、もし屈託なく笑って、周囲にこう言えたらどうだろう。

「私、すっかり忘れっぽくなっちゃった。だから大事なことは私の代わりに覚えておいて、必要なときに教えてね。頼りにしてるよ」

 その人がバカになっただなんて、誰も思わない。周囲もその方が助かるだろう。自分の中にある認知症への偏見や「人を頼っちゃいけない」という自分への縛りさえ捨てれば、症状は消えなくても苦悩は消える。経験者の私が保証する。

「(なるべくたくさんの)人の手を借りる」という開かれた、柔らかい心のありようや「いつでも手を借りることができる」人間関係のある地域社会が、私には眩しい。簡単にはできないけれど、そういう形の「自立」が、これからの理想だと思っている。

 

P197

 訪問歯科診療をしている医師から聞いた忘れられないエピソードがある。

「患者さんは、高齢者がほとんどで、多くの方は認知症です。訪ねていっても治療できないようなこともたびたびで……。悩んでいたとき、あなたの話を聞き、『認知症の人は普通の人』という言葉に驚きました。なんだ、そうなのか!じゃあ、普通の人に接するように接すればいいんだって思ったんですよ」

 彼は、認知症のある患者さんにも、そうでない患者さんにするのと同じことを初めてしてみた。視線を合わせて丁寧に挨拶をし、簡単にでも本人に治療内容を説明し、治療の了承を得た。するとそれだけで、怒り出したり暴れ出す人はいなくなり、ほとんどの人が協力的な態度に変わったそうだ。

 言葉など通じないだろうと思っていた患者さんにも積極的に話しかけてみると、表情が変わり、多くの患者さんたちが話し始めた。感謝や労わりの言葉を掛けてくれた。

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 もう1つ、深く考えさせられたエピソードがある。

 福岡県大牟田市では、「認知症になっても安心して外出できるまち」を目指して、2004年から全国に先駆けて「徘徊模擬訓練」を続けてきた(今は「徘徊」という言葉は使っていない)。認知症のある人が、道に迷って一人で歩いている姿を見つけたら、声を掛けて助けられる人になることを目指した大規模訓練だ。・・・

 近年、この訓練の運営を長年されてきた方が、認知症の診断を受けるようになった。

 大牟田のこころ優しい人たちは、ここぞとばかりに、寄ってたかってその人に親切に声を掛けた。集会で彼がトイレに立てば、全員の視線が一斉に彼に向けられる。「一緒に行こか?」。家から一歩出れば、何人もの人が寄ってくる。「どこへ行くと?」その結果、彼は外出することを止め、「もう、ほっといてくれ!」と、家に引きこもってしまったという(コロナ禍以前の話だ)。

「俺たちは、いったい20年近く何の訓練をしてきたんだ⁉」関係者の痛恨の声を直接伺った。

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 その後、大牟田市は、認知症高齢者に働く場を提供し始めた。もちろん誰もが働きたがるわけではないが、「何か人の役に立つことがしたい」と願っている元気な方は多い。・・・

 認知症のある人は、無能で可哀想な人ではない。勉強会では、あなたと同じこころを持った人であることを伝えてほしい。一緒に仕事をしたり、スポーツや芸術などの趣味をともに楽しむ友人であってほしい。