カレーライスにまつわるエッセイがてんこ盛りの一冊です。
こちらは村松友視さんの「カレーライスをチンケに食う」
P98
あるとき、近々カレーライス屋をひらくのだというヒトに会った。彼は、これまでにないカレーライス屋というプランをもっていたが、それは大体において次のごとき趣きであった。
カレーライスはいつもかき回されている方がうまい……これがこのヒトの第一の思い込みで、この点を満足させるため、彼はあんこ屋の鍋と道具を取り入れた。つまり、アンコをかきまぜる電動の機械つきの鍋に、カレーを入れておくのだ。そうすればカレーの味はいつも混じり合い、ときどき肉や野菜をぶち込めばいいというあんばいだ。
カレーライスは早くなければいけない……この第二の思い込みも、このシステムで解決できた。カレーライスにかぎらず、日本人は〝いますぐ食べたい〟という状態で店へ飛び込むケースが多い。これは、食事の時間を大事にキープする中国や西洋とちがい、ギリギリまで働いてしまう日本人の生活感覚からくることだ。
とくにカレーライスなど、入ってやたら待たせたら、食うのがいやになってしまうだろうということで、お客が店へ入ると同時に出てこなければいけないとこのヒトは考えた。店にはカレーライスしかなく、お客の注文は大盛か並かを選ぶだけということであります。
カレーライスの米は旨い方がいい……これはかなり当り前みたいだが、このヒトはここにサービスのテーマをからめる。米を選ぶときに採算を考えると、米の値段もなるべくおさえてというのがふつうだが、このヒトは最高の米を選ぶ。米の値段など、最高と最低の差がもっとも低いのだから、上等な米をつかってサービスした方が商売にもつながるというのがこのヒトの持論だ。カレーライスに使われている米がまずいのと旨いのとでは印象がまったくちがい、経費はそのわりにはかからないということだ。
カレーライスについた薬味にはケチするな……これが最後の思い込みだ。そう言えば、カレーライスの脇に福神漬が寒そうに四枚ほど寄り添っているなんざ、何となく食べるまえに寂しくなってしまう風景だ。やはりこれは、豪華にふんだんに使ってもらうべきだというのである。
「いくら食うったってアンタ、福神漬やラッキョウやベニショウガなんて、ドンブリいっぱい食えるもんじゃありませんよ」
このヒトは、そう言って豪快に笑った。
私は、このヒトの気っ風のいいプランがすっかり気に入ってしまい、開店早々に行ってみた。するとやはり、このヒトの商法は図に当って、連日の大入り満員という盛況ぶりだった。
私はすぐ出る旨い米のカレーライスを食べ、アンコの機械でよくかき回してねれた味にも感動した。だが、例によって私は、福神漬やベニショウガをあまり多く皿に取ることをためらい、ポーズをとってわずかな量でがまんした。あまりにも大らかなプランに、私のチンケなセンスが追いつかなかったというお粗末。
