乙武さんの本

自分を愛する力 (講談社現代新書)

乙武洋匡さんの「自分を愛する力」を読みました。
ご家族のエピソードもたくさん載っていて、へぇ〜と驚いたり、感動したり。
印象的だったところのご紹介です。

P44
 ・・・僕の両親の子育ては、まさに「ほめて育てる」ものだった。もちろん、道徳的にまちがった行動をしたときには、みっちりお説教を受けることもあったが、何かが「できない」ことで叱られたという記憶はない。そして、「できた」ときには、たっぷり、しっかり、ほめてもらっていた。
 なぜだろう。ほとんどの親が頭ではわかっていても実践できない「ほめる子育て」を、なぜ僕の両親は、モデルケースとして教科書に載せてもおかしくないような形で実践することができたのだろう。
 母に聞いてみたことがある。すると、思いもよらない答えが返ってきた。
「それは……あなたが障害者だったからかもしれない」
―え、どういうこと?
「あなたが生まれてきたとき、四肢のない身体を見て、『この子は一生寝たきりの人生を送るのかもしれない』と思ったの。それでもベッドの上で元気に笑ってさえいてくれたら、それでいいって。そこがスタートだったから、それからはあなたが何をしたって、私たち夫婦には喜びでしかなかったのよ。寝返りを打った。起きあがった。自分で歩きだした。小学校にあがって、自分で字を書いたり、食事ができるようになったときには、もう天にも昇る思いだった。だからね、思ったの。これ以上、この子になにか望んだら、バチが当たるって」
 わが子が生まれてくるにあたって、ほとんどの親が願うことがある。
「五体満足でさえあってくれたら―」
 そうした意味で言えば、僕は多くの親が抱く望みを満たすことなく生まれてきた。でも、いや、だからこそ、両親は僕の育ちをすべて前向きに受けとめ、肯定してくれた。僕は“五体不満足”で生まれてきたからこそ、「ほめる育児」を実践してもらえたのだ。
 ・・・
 ・・・
 僕の幼少期の話を聞くと、変わっていたのは身体のカタチだけではなかったようだ。とにかく、寝ない子だった。・・・
 さらに、僕はとにかくミルクを飲まない子だったらしい。・・・
 睡眠時間の件も合わせ、僕の発育に関して、母はずいぶんと頭を悩ませていたらしい。だが、悩みに悩んだ末、あるとき、吹っ切れたという。
「この子は、生まれたときから、“超個性的”だったのだ。いまさらほかの子と比べたって仕方ない」
 そこから、育児書のなかにある「平均」や「標準」と比べ、一喜一憂することはなくなったという。
 周囲に「手も足もない子」などいなかったからこそ、僕は誰かと比べられることなく、あくまで、僕を基準に育ててもらうことができた。オリジナリティを大切にしてもらうことができた。
 むずかしいことはわかっている。それでも、僕らが「平均」や「標準」というモノサシを捨て、その子なりの特性や発育のペースを尊重してあげることができたら―きっと、幸せな子どもが増えていくと思うのだ。