ミャンマーで尼になりました

ミャンマーで尼になりました みんなの寺 絵日記 「夫婦でお寺をはじめたよ」の巻

きのうは縄文時代に魅かれるという話でしたが、こちらはなにゆえにそれほど?という位、仏教に強く魅かれ、ミャンマーの瞑想センターで学んだ方の体験談です。
おもしろかったです。
中でも印象的だったのが、瞑想を続けていって、以前より集中力はついた気がするし、心が落ち着いていると幸福感もある、でも自分自身は何も変わっていない・・・と落ち込む著者に、師匠さんが「瞑想は何かを手に入れたり止めたりすることじゃなくて、‘ただ気づくこと’だと最初に教わったでしょ?」と言うシーン。
「今日は全然ダメだ」と落ち込んだら「落ち込み」「自己嫌悪」と念じるだけです(自分の状態をひたすら観察して気づく、ということを続ける瞑想法です)
「これは良い状態」「悪い状態」と自己採点して感情に巻き込まれるのは愚の骨頂です
今この瞬間の状態にありのまま気づくのが瞑想で、それができたらOKなんです
・・・と師匠さんは言います。

執着や悪意や愚かさなど、まだまだ自分にある、という著者には、「悟ってないんだからあって当然」というお言葉が。

以前のブログでご紹介した↓「みんなの寺」というマンガを描いた方のお話です。
http://d.hatena.ne.jp/ayadora/20120918/p1

仏教用語に関するわかりやすいコラムもついてました。