前世の記憶

つらいと感じても心配いらない 神さまはいつだってそばにいるから

ドランヴァロ・メルキゼデクさんの系統の瞑想ワークショップに参加した著者が体験した前世。
こんな風に以前死んだ時の様子を思い出すと、もう何回も生まれて死んでという経験をしてるんだなと、不思議な落ち着きを感じます。

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 おいらは瞑想の中で、2つのことを理解した。
 ここはヨーロッパのどこかだ。この空の色は日本ではない。
 もう一つ。おいらは死んでいた。たぶん死んだ直後で魂はまだ冷えていく肉体に残っているようだった。この世界が名残惜しかったのかもしれない。
 死んでいることが理解できると、冷静に自分の状態を観察することができるようになった。
 身体のどこにも違和感も痛みもない。ただ死んでいるからピクリとも身体を動かすことはできなかった。
 思考は満月の写り込んだ湖のようにフラットで、世界がありのままに見えているのが理解できた。曇天のヨーロッパの空はどこまでも広がり、木々の葉が揺れる音さえ甘美に感じられた。
 世界は美しく完璧で、おいらはそれをただ眺めていた。首を動かせないので視線を移動することはできなかったけどね。
 頬に冷やりとした感触を感じた。何かが空から落ちてきていた。
 銀色の光のように見えるもの。それは無数の雨粒だった。雨が降り始めたのだ。
 雨粒は冬の微かな光を反射させて、一直線においらの方へ向かってきていた。
 乾いていた冬の大地を雨が濡らしていくのが感じられた。濡れた地面や灌木が発する微かな匂い。雨音の違いから、死んでいるおいらの頭側には建物があると感じた。
 きっと石造りの古い建物だろうなとおいらは推測した。
 おいらは自分が泣いていることに気づいた。もちろん涙は出てこない。何しろ死んでいるのだ。涙を流す機能さえおいらの身体からは失われてしまっているはずだ。
 おいらは心の中で泣いていた。感じているのは懐かしさだった。何もかもが懐かしかった。
 何度もこの瞬間を繰り返してきたことを理解した。懐かしさはその記憶からやってきているのに違いない。おいらは無限回の生と死を繰り返してきたのだ。
 しばらくの間、この美しい世界とお別れすることは残念でならなかったけれど、それは仕方のないことだった。おいらには次の世界があるのだ。
 雨はおいらの全身を濡らしていた。寒さは感じなかった。ただその刺激だけが心地よかった。
 おいらは思った。この雨はどの範囲まで降っているのだろう?
 きっとどこかの町の建物を濡らし、教会の尖塔を濡らし、石畳の広場を濡らし、深い森を、美しい糸杉を濡らしていることだろう。
 全ては平等なのだ。
 なぜ自分が死んだのか?どうして外に放りっぱなしになっているのか?そんな疑問が浮かび、すぐに消えていった。そんなことはどうでもいいのだ。この生の最後にこんな素敵な経験ができたのだ。外で死ぬのも悪くなかった。おいらはそのことに感謝した。
 おいらの意識はぼんやりとしてきていた。もう何も見えなかった。何も聞こえなかった。
 ただ居心地のよさと限りない安心だけが、おいらには残されていただけだった。
 おいらは理解した。旅立ちの時だ。もうこれでこの生も終わるのだ。
 おいらは光に包まれている自分を感じた。・・・