ブルーハワイ

ブルー ハワイ(新潮文庫) (「それでも日々はつづくから」シリーズ)

 巻末の俵万智さんの解説に、

 燃え殻さんの、忍法「重いできごとを軽く書いて重みを伝える術」あるいは、忍法「濃い経験を薄く書いて濃さを伝える術」とでもいうべき筆致、ほんとうに素晴らしい。

 とあり、さすがうまいこと言うなーと思いました。

 

P16

 三軒茶屋で芝居を観て、喫茶店に入ろうとしたところで肩をポンポンと叩かれた。振り返ると知り合いのライターの女性がニコニコ笑って立っていた。数年ぶりの再会。彼女も舞台を観ていたらしい。

 ・・・

 こちらの近況は相変わらず愚痴まみれだったが、彼女のほうはかなり込み入った事情を抱えていることがわかり、途中からコーヒーに口をつけるタイミングがわからなくなる。

 彼女の近況報告は、僕と会っていない数年のあいだに結婚し、その旦那が結婚してからいままで一秒も働いていないという出だしから始まった。出だしだけでも、武道館でワンマンを張れるほどの濃さだが、ここからさらにデンジャラス度は増す。その旦那との間に、双子の赤ちゃんが産まれたというのだ。

「とりあえず、まずはおめでとう」

 形式的にそう言ってみた。そして家賃や子育ての費用はどうしているのか?という現実的なことを聞いてみる。もうチェーンの喫茶店で話すようなぼんやりした話では、まったくなくなっていた。

 とにかく彼女は、双子の赤ちゃんよりもよく寝る旦那を置いて、早朝から魚屋のアルバイトに出るのだという。その仕事が終わると、ライターの仕事があるときは真夜中まで作業をし、なかった場合は、短期のアルバイトを入れて生活費をやりくりしているというのだ。旦那はそのあいだ、ただ寝ているか、気が向くと双子をあやしてくれるらしい。

 ・・・「そんな暮らしによく耐えられるね」という全人類がツッコミたくなることを彼女に聞いてみた。彼女はやはり月に一度くらい、旦那への愛情が限りなくゼロになるのだと明かしてくれた。

 ゼロに近づく気配を感じたら、動物園の「動物ふれあいコーナー」に家族で行くらしい。旦那の唯一の特技は、あらゆる動物に餌なしで好かれることで、「ふれあいコーナー」に足を踏み入れた瞬間、まわりがひまわりの種を手に持っていようがおかまいなしに、多くの動物が旦那に近寄ってくるのだとか。

 リスなどは、頭に乗ったり肩の辺りをくるくる回ったりと、それはそれはかわいいのだと彼女は嬉しそうに話す。彼女は動物まみれの旦那を見て、また明日からバイト頑張ろうと心に誓うらしい。

 愛には人の数だけ種類があるのかもしれない。ちょうど、客がはけたとき、よく行く定食屋のばあさんに、店主との馴れ初めをなんとなく聞いてみた。

「コーラの瓶の蓋を、歯で開けたのを見て、惚れちゃってさ」

 ばあさんは銀歯だらけの口を全開にしてゲラゲラ笑った。カウンターの向こう側にいた店主も満更でもない笑みを浮かべていた。

 やはり愛には人の数だけ種類がある。あなたとわたしだけの正解、それを人は愛と呼ぶのかもしれない。

 

P38

「霊も慣れっすね」

 そう笑顔で言い放ったのは、駆け出しの舞台俳優Tさん。・・・

 ・・・

「うちのアパート、霊が出るんですよ」

 Tさんは席に着くなり開口一番そう言った。・・・「どんな霊ですか?」・・・僕はコーヒーをすすりながら聞いてみた。

「うちの間取りは、風呂から上がると、真正面が洗面台なんです」

 ・・・

「風呂から上がって、洗面台の鏡を見ると女の人がこっちを見ているんですよ」

 まるで友達とのシェアハウスの話をしているかのようにTさんの口調は穏やかだ。店主も仕事の手を休め、話に聞き入っている。

「最初は怖かったんですけど、毎日のことなんで慣れちゃって。最近は目が合うと軽く会釈するときもあるんすよ。霊も慣れっすね」

 Tさんがあっけらかんと笑うので、思わず僕もつられて笑ってしまった。・・・

 

P154

 派手な人生の話を飲み屋で聞いた。それも盗み聞きで聞いた。

 場所は西麻布。僕は偉い人に突然呼ばれ、居心地の悪い割烹に真夜中に出向いた。カウンターには東京っぽい大人なカップルが二組。「こっちこっち」と偉い人が一番奥の席から僕を箸で呼ぶ。こんなとき、「ああ、自分の小物感よ」と心から思う。そこから二時間くらい、僕は「なるほどですね」を繰り返すことになる。あまりに繰り返していたら、途中から頭のなかが暇になり、隣の席の大人なカップルの話に耳を傾けていた。

「あのとき、俺の借金、余裕で一千万超えてたからね」

「え、マジで」

「マジ。でも、いまオレは生きてる~!って感じを、あのときほど実感したことはないんだよね」

 そう言って、初老の男は遠い目をし、炙った白子にキャビアをのせて口に運んだ。若い女は両肩を露わにした小豆色のワンピースを着て、初老の男の話に音をたてず、パチパチと手を叩き、「すご~い」と目を輝かせていた。茶番だ。いや、深夜に突然呼ばれたこちらも十分茶番なので、茶番はこの街の平常運転なのだろう。とにかくここは茶番の街、西麻布なのだ。

「で、君は死んでもいいという恋をしたことは?」

 初老の男は、若い女に問う。本題に入ったようだ。

「私、まだそんなにちゃんとした恋愛をしたことないんです」

 若い女はそう言って笑いながら、ビールをグイッと飲み干した。茶番第二幕が華やかに開幕した。

 僕は「死んでもいい」と思ったことがあったと思い出しながら、偉い人に「なるほどですね」と間違ったタイミングで相槌を打ってしまい、「聞いてるのか?」と問い詰められた。

 横浜の桜木町に住んでいたとき、僕の人生は暇で溢れ返っていた。朝起きて、コンビニに行き、公園のベンチに座って鳩にキャラメルコーン的なものをやり、しばらくして家に帰る。本当にそれくらいしか、やることがほぼなかった。たまに思いついたようにアルバイトをして食いつないでいた。

 その頃付き合っていた彼女は事務職で、これまたとにかく休みだらけで暇な人だった。ふたりでよく、足が疲れるまで散歩してみたり、吉野家と松屋の食べ比べをしたり、公園でバドミントンを飽きるまでやったりしていた。僕は「もっと劇的なこととか起きないのかなあ」などと言って、彼女は「来年になったら忘れそうな日しかないよね」みたいなことを繰り返し話していた。とにかく胸を張って(胸を張ることじゃないが)、あの頃は暇まみれだった。

 あれから余裕で二十年くらいが過ぎ去って、僕は「来年になったら忘れそうな日」だったはずの出来事を、いまでもたまに思い出す。足が疲れるまでただ一緒に歩いたり、僕は吉野家派で、彼女は松屋派だったという事実。

 バドミントンを一緒にした公園に、仕事や打ち合わせで横浜方面へ出かけたとき、足を運ぶこともある。「いま俺は生きてる~!」と感じるような借金や出来事はなかったが、振り返ればどれもこれもロマンチックに感じるから不思議だ。もう戻れない日々をただぼんやりと思い出すとき、人は「俺は生きてる~」とうっすらとだが嚙みしめることが出来る。

 

P205

「内容がなかった」

「こんなものは小説じゃない。時間の無駄」

「ただの日記だ」

 これら三つはとあるサイトに書き込まれていた僕の本に対するレビューだ。目から血を流しながら、この三つをなぜかメモ帳に書き留めていた。ドMで間違いない。もちろん褒めているレビューもある。ただ、一つでも批判的なものがあるだけで、気持ち的にはすべて台無しになってしまう。

 だったら見なければいい、と頭ではわかってるのに、気づくと検索している。・・・

 ・・・

「ただの日記だ」というレビューは、僕のエッセイ集について書かれていたものだ。たった六文字のそのレビューが、ボディーブローのように効いて、それを見つけた日、僕は昼飯を抜いた。

 そのことを知り合いの映画監督に話すと、「でもさ」と前置きして、魂が救われるような言葉をかけてくれた。

「有名な文豪の未発表の作品が見つかったとするじゃん。それとラブホテルに置いてあったノート、どっちが読みたいかって聞かれたら、断然ラブホテルのほうじゃない?」

 彼は笑いながらそう言った。

 文体というものが何なのかすら正直わからないで書いてきた。飲み屋で「読んでるよ」と声をかけられると嬉しい。母親が「よくがんばってるね」と言ってくれることが励みだ。この文章を読んで、どんな人が、どこで、どう思ったのか、すごく気になっている。でも書いているときは、できるだけそれを意識しないようにしている。

 ラブホテルに置いてあったノートに、そっと記すように書きたいのかもしれない。「誰にも言わないでね」から始まる文章を書きたいし、読みたい。

 この週刊誌の連載はただの日記だ。鍵をかけ忘れて、雑誌に載ってしまった、ただの日記だ。