ユニヴァースのこども 性と生のあいだ

ユニヴァースのこども: 性と生のあいだ (シリーズ「あいだで考える」)

 なかなか伝わりづらそうなことが、お二人の対話から、なるほどと伝わってきて、読めてよかったと思いました。

 

P12

も 「自分のことをどう呼んでもらうか」ということは、ずっと考えてきました。

 たとえばね、私がデイサービスの事業所に勤め始めた頃、そこのおばあさんやおじいさんは職員を「ねえちゃん、にいちゃん」って呼んでいたの。「ねえちゃんちょっとこっち来てやー」とかって。でも、私はねえちゃんでもにいちゃんでもない。

あ うん。

も でもその2つしか呼び名がないから、「ねえちゃん」と呼ばれても「にいちゃん」と呼ばれても返事をしてたの。・・・

 ・・・

 でもね、そのデイサービスに入ってすぐの自己紹介の時、今までで最高の自己紹介ができたんよ。あの時ほど鮮やかな自己紹介ができたことはないと思ってる。初めて勤めた場所で、知らないお年寄りの前で話すっていう、すごくハードルが高い時に、最高の自己紹介をやってのけたの。

 ……いま、めっちゃ自分でハードル上げてるなあ(笑)。

あ (笑)

も なんて言ったかっていうとね、「私は『おにいちゃん』って言われたり『おねえちゃん』って言われたりします」と。「いろいろですわー」言うて。それでね、「私はそのあいだやから、『おぬうさん』です」って言ったの。

 別に用意してたわけじゃなかった。自分の中で「おぬうさん」なんて、言葉にしたことなかったんやけど、とっさに出てきてさ。「に」と「ね」のあいだが「ぬ」やから、「おにいさん」と「おねえさん」のあいだで、「おぬうさん」。

あ 傑作やね。

も まわりの職員さんも爆笑して。何人かのおばあさんも笑ってくれはった。

 つまり、「おにいちゃん」でも「おねえちゃん」でも、どっちでもいいよーっていう感じを出したわけね。最初に。だから、出だしとしては成功したの。「どっちでもいいよ」っていう路線がいちばん楽だから。そこでがんばって「おにいちゃんなんです」って言っても後がしんどくなるやろうし、かといって「おねえちゃん」に甘んじても、それはそれでしんどいしさ。そのあいだのところを最初に切り開いておけてよかったなって。これ、私の中で最高の自己紹介。

あ (笑) 確かに見事や。

 

P31

も ・・・「こどもと暮らす」ということについてあっちゃんと一緒に考え始めたのはいつ頃からだったかな?って改めて思ったの。最初にその話を始めたのはあっちゃんだったよね。

あ そう。もっちゃんと出会って一緒にいるようになって、なんとなく自然に「2人で暮らしてみたい」って思うようになったんですよ。一緒に暮らす時間をつくっていくこと、「生活」っていうことがもっちゃんとはできそうな感じがしたの。で、その延長線上に「こどもがいたら」って思うようになった。

 ・・・

 当時、私は小さなノートに自分のために書くっていう習慣がありました。10歳前後からずっと続けてたんですね。で、もっちゃんと出会ってから自然と、そのノートを交換しながら2人で一緒に書くようになって。

も それで、この前ひさしぶりにそのノートを開いたら、そこに書かれていたんです。あっちゃんが、私とのあいだにこどもを願う気持ちがあって、それを私に伝えたということ。そうしたらもっちゃんは「初めて、自分の体を通して『こども』っていうことを考えた」というふうに言った、と書いてありました。それを見て、私は「体を通して」って言ったんだと思って。その表現に「あっ」となったわけです。

 それで、いろいろ思い出してみると、この時期、頭だけで考えるんじゃなくて、感じていること、自分の中で起こっていることが体を通過して表現になって出てくるという感覚が、あっちゃんと共有する感じで、2人ともにあったなって。

 私はそれまでは、「体」っていうものをちゃんと受けとれてなかった。あっちゃんと出会った頃の私は男のように見られたいと思ってる時期で、「ぼく、ぼく」って言ってるけど、もうかなりしんどくなってる頃やった。自分のセクシュアリティとかジェンダー(=社会的・文化的につくられる性別、性差)の問題にすごく意識的になってて、自分の体をすべてその側面でしか捉えることができないくらい。だから、「体、体」ってむしろすごく言ってたんだけど、でも、その体はあくまで「性別」っていう観点での体だったんですね。極端に言えば、記号としての体っていうかな。でもそういう、「女か男か」という体ではなくて、自分のありのままの体というものをとり戻していく過程が、あっちゃんとの出会いを通じて始まったんです。

 

P54

も ・・・少しずつ、精子提供を受けてこどもを迎えるというアイディアがリアリティを帯びてきて、本気で考えるようになっていったんやけど、それが本当に現実のものとなるには、2人の友人の存在が必要でした。

あ そう。こどもを迎える試みは、4人だから実現できたことだったんです。

も 2人の友人とは、よっちゃんとりえさん。りえさんは私があっちゃんと出会う前からの親友で、よっちゃんはりえさんのパートナーです。

 私たちが2人に「こどもを持ちたい」と話すようになった頃、りえさんとよっちゃんにはすでに、そらちゃん、あをちゃんというこどもがいました。私たちはその家にしょっちゅう遊びに行ってて、一緒に晩ごはんを食べて、こどもと遊びながらいろいろ話す時間をよく過ごしてた。私たちはこどもを持つことへの思いが強まっていってたから、そのうち自然に「精子提供っていう方法を調べてみたんやけど、成功率がこんなに低いんやわ」とか、2人に話すようになっていったんですね。

あ りえさんとよっちゃんはそういうこともまったく気兼ねなく話せる相手やったからね。

も そう。で、私たちは自分たちと何かしら関係のある人から提供を受けたいと思ってた。

あ そうやね。まったく知らない、名前もわからない人からっていう選択肢は考えていなかった。・・・願わくば、お互いの人生の中で、親としてでなくとも、ひとりの人の成長を見守る仲間としてかかわりを持ちつづけてくれる人がいいって。

も そういうことを、ある時、りえさんとよっちゃんに話してたんですね。そうしたらりえさんが突然、「よっちゃんがいるやん」って。そう言ったんです。

 その言葉を聞いて私は、えっ?と胸を衝かれて、よっちゃんの顔をぱっと見ました。そしたらよっちゃんは、そのアイディアはその時初めて聞いたみたいで「ええっ?」という顔で驚いてたけども、でも気軽な感じで、「いいやん」って。

あ 「いいんじゃない。やってみれば?」という感じやった。

 私たちは「えーー??」って、本当にびっくりして。パートナーとのあいだにこどもがいて、一緒に生活しているりえさんが、そのパートナーからの精子提供を提案してくれた、しかも、とっても気軽な感じで。そのことに非常に驚いたんです。「そんな発想なかった!」って。

も あとからりえさんに「あの時、どうしてあんなふうに言ったん?」って聞いてみたんです。そうしたら、「私たちの中で精子を持ってるのはよっちゃんだけやん」って。「もし私が精子を持ってたら、私があげるわ。私があげたかったわ」って言ってね。その言葉がかなりの決め手になった。りえさんがそこまで思ってくれてる。そして、りえさんがそう言ってもよっちゃんが「いやいやー。それはないよ」っていう気持ちやったらあかんけれど、当のよっちゃんも「いいよー」って言ってる。・・・2人にとって問題がないんやったら。

あ もう、この人たちしかない、って。

 

P103

も ・・・おとといはこんなこともあった。

 アトリエでみんなと作業してて、私が「そろそろこどもの迎えに行かな」って言ったら、夏希ちゃんが驚いて「えっ、もっちゃんってこどもがいるの?」って。夏希ちゃんは私と満生が一緒にいるのをいつも見てるはずなんやけど、親子に見えてなかったんや!って私も驚いて、「こども、いるよ」って答えたの。そしたら隣にいた愛ちゃんが夏希ちゃんに「満生ちゃんはもっちゃんのこどもやで」って説明してくれて、さらに「満生ちゃんは先生のこどもでもあるんやで」って。先生というのはあっちゃんのことですね。で、夏希ちゃんが「えっ、もっちゃんって結婚してるん?」って言うから「してないよ」って答えたら、愛ちゃんもびっくりして「えっ、どういうこと?どういうこと?」って2人で言い始めて。

あ こどもがいるイコール結婚してるって思ってるんやね。

も 「結婚しなくてもこどもってできるん?」って聞かれて「できるよ」って答えたら、「えっ、えっ」ってなって(笑)。「じゃあ満生ちゃんってどこから来たん?」って聞くから、わたしはそこはちょっと冗談っぽく「満生ちゃんは宇宙から来たんやで」って言っちゃったんやけど。そしたら夏希ちゃんが「そうらしいで。うちのお母さんも夏希の七五三の時に『やっと人間になった』って言ってたから。それまではこどもって宇宙人やねんて!」って。

あ あはははは。めっちゃおもしろいなー。

 

P142

も ・・・満生のベースにあるのは不安じゃない。保育園に行かないとか、学校に行かないということ、そういう選択って常に不安ベースで語られがちやんか。・・・でも、「行かない」っていうことを、ただ選択してる。それは、行っても何もおもろいことがないとか、家にいたほうが本も読めて、ゲームもできておもろいとか、自分が守られるとか、いろいろありうるやんか。・・・

あ ・・・「できないから行きたくない」ということでもないんや。「満生ちゃん、お休みがだあい好きなんだあー」っていう、あの幸せそうな言いぶり(笑)。ただそっちが好きやから、気持ちいいからそっちに行ってるんよね。それも信頼なわけやん。そのスペースに対する信頼とか、なんやろ、自分の好きな時間の質とか感触に対する信頼っていうんかな、そういうものがそこにはあるな、と思うの。

 発達検査の時の、色を揃える課題でもそうだったよね。黄色の面と青色の面がある立方体が4つあって、「黄色の面を2つと青の面を2つで、これと同じように並べてみて」って言われて、満生は4つとも黄色に揃えたの。で「満生ちゃんは黄色が好きだから」とか「きれいだから」とか言ってた。「こうしてみて」って言われたことに対して、自分のしたいようにしたわけ。

も うんうん。私は、ああ、実に満生らしく応えてるなと思って見てた。

あ 「これをして」って指示があっても、自分がしたいようにして「満生ちゃんはこれが好きなんだ」って言えるっていうのは、そう言ってはいけないって思っていないから。やっぱり不安じゃなくて信頼があるんだよね。