結婚の奴

結婚の奴 (文春文庫 の 16-12)

 生きやすい形は人それぞれ、いろんなバリエーションがあるといいなと思いました。

 

P23

 これといって大きなきっかけもなく、例によって仕事がはかどらなかったある日の深夜。一人暮らしで最大限に怠惰になった生活をもう少ししっかりさせれば仕事も多少マシな進み方をするだろうになあ、誰か近くでずっと見張っててくれればいいのに、と考えはじめたところからコトは始まった。

 ・・・

 そうか、私は仕事や生活を立て直すために、まず誰かと同居するべきなんじゃないだろうか?

 とはいえ、誰かと共同生活してみるにしても、だいたいもうこの年齢になると女友達はおおかた結婚して子供までできていて、同居できる人が選択肢に浮かばない。・・・私だって別にいまの生活に大きな不満があるわけじゃないのに、いずれするべき結婚をまだあなたはしていないという前提で話を進められることがある、これが非常に面倒くさい。・・・そういう話になるたびお前には何か決定的なものが欠けているというふうに思わされる。なんで未婚であることでこんなに引け目を感じなきゃいけないんだ、結婚なんて紙切れ一枚じゃないかよ……。

 ここまで考えて、ふと「結婚したことにしてみたらどうだろう」というアイデアを思いついた。

 ・・・

 偽装結婚ならぬ偽装既婚の手段は簡単です。左薬指に指輪をはめるだけ。

 この考えは大いに私を楽しませ、少しのあいだ、私は「どういった指輪がいいか」「どんな人と結婚したことにするか」をわくわく考えていた。この考えは友人にも波及し、やはり結婚する気のない作曲家のヒャダインさんは大いに賛同してくれて、彼は実際に指輪を買うところまで至ってしまった。

 しかし、具体的に考えているうちに、このプロジェクトは単に「結婚したことにして、指輪買っちゃったんだ」と周囲に吹聴するだけのおふざけに終わるように思えていた。・・・

 だいたい、元はと言えば誰かと同居して仕事の効率を上げるという計画を考えていたはずだった。・・・

 ・・・

 では……、と、気が向かないながらも、実際にどこかの男性と「結婚」するためにはどうするか、と具体的に考えてみた。

 しかし、一般的に想像されるような平凡な結婚の形に私が至るのはあまりに面倒で、現実味がない。

 ・・・

 ・・・何も起こらないまま一連の「結婚について考えるブーム」が失速しそうになったとき、頭の底にほんのり灯ったのは作家の中村うさぎさんの例だった。

 うろ覚えだけど、中村うさぎさんはゲイと結婚している、と聞いたことがあった。・・・

 それはいい。まず絶対に夫婦が恋愛関係にならないのがいい。・・・

 ・・・結婚の内臓のようなものは全部取っ払った、事務的な、お互いの生活の効率性のためのような結婚、これはいい。その結果がいまいちだったらすぐ離婚していい。人を食ったような結婚がしたい。

 そうだそうだ、自分の生活と精神を立て直すために、ゲイの誰かと恋愛なしで結婚すればいい。・・・

 

P182

 十二月三日はアキラの誕生日なので、バースデーケーキを買ってアキラ邸に向かった。小さめのホールケーキサイズの、サダハルアオキで買った四角い黄色いチーズケーキ。プレートには、シャイニーゲイに抗うアキラに当てつけて「アキラ・シャイニー」と書いてもらう。・・・

 ・・・

 アキラの家の二階のこたつできちんとケーキにろうそくを立て、電気を消して、つなぎのパジャマを着てもらって。二人でのしっかりした誕生日パーティーです。

 これはそもそも「疑似」である。「結婚」はもちろんのこと、おつきあいや半同棲神田川よろしくカップルみたいに銭湯に行くこと、すべて疑似のはずだ。・・・しかし、毎週同じ部屋でダラダラとスマホを見ながら過ごしていること、そして誕生日プレゼント、誕生日パーティー、もうここまで経験すると、「疑似」の意味が分からなくなってくる。アキラも一連の誕生日行事に腰が引けることもなく、それなりに楽しそうに受け入れている。

 ・・・

 私の究極の理想は、「恋愛のない、幸せな結婚生活」を築いた上で、あわよくば別の人ともときどき薄っぺらくて先のない恋愛っぽい関係を持ち、私の少女漫画止まりの心を満たす、ということである。だから、実態はともかく、形としては「不倫」が最終目標になるんだろうな。

 夫(仮)はちょくちょくハッテン場に行っているようなので、ある面ではその目標を果たしている。うらやましい限り。

 

P202

 同居生活が始まって一週間。

 日常が革命的に変わっているのを感じる。

 自分なんかどうでもよいと思っているから、私は掃除もしないし料理もしない、荷物一つすら動かさない、不潔さが自分でギリギリ我慢できるレベルで生活をしていた。いや、あれは「生活」とは呼べなかった。自分の部屋はただ寝る場所で、加寿子荘を出て以来どこに引っ越してもそこを仮の住まいだと思っていたから、私は一人暮らしの自分の部屋を満足いくまで片づけようと思ったことが一度としてなかった。日常が生きてない、往きてない、生活じゃない。

 ところが、人が来たら、違う。

 日々が「生活」になる。

 朝、起き、作ってもらったごはんを食べる。今日の予定は?なんて人に聞く。一人だったらそんなんどうでもいい、自分一人で動いているが、二人でいるから聞いておく。何か買ってきて、って頼んだりもする。食材を買いに行くというのでついでに仕事部屋のLED電球を買ってきてほしいと頼んでみたところ、近くの商店街を探したけどやけに高いものしかないので買わなかった、という。こんなふうに、自分と同じところに住んでる人が、ある場所に行って、自分と違う考え方で何らかの判断をして戻ってくる。

 そして、私がいないときにも、家に人がいる。私が帰ってくると、その人によって家の様子が少し変わっていたり、片づいていたりする。

 なんてこった。これが生活なのだ。・・・一つ一つが新鮮で、毎日驚いてしまう。おはようと言う相手の人がいたり、おやすみと言う相手の人がいたり。

 すごいのは「ただいま」だ。帰ったとき「ただいま」と言える。これには驚いた。人だ。人と話す、これだった。

 

P240

 ・・・こんな「結婚」だって、世の中には腐るほどある平凡な結婚だろう。書けば書くほど、これは書くほどのことではないんじゃないか、という思いが募る。

 夫のように見える同居人がいて、でも別居している期間も多いから適度な距離が取れて、愛情は猫にそそぎまくっている、一般的な中年女性。

 幸せそうで、つまらない、私は目標をちゃんと達成し、一旦幸せになって、非常につまんない人間になった。幸せな自分は、作品の材料ではなくなった。

 

こちらは山崎ナオコーラさんによる解説から・・・

P245

『結婚の奴』は待たれていたのだ。

『結婚の奴』が、すごく面白いのは、体制派でも、反体制派でもなく、「生きる」というところに特化していることだと思う。

「結婚」というものに対して悩む人は、生きにくさを感じ、どうしても怒ったり悲しんだりしてしまう。だから、「結婚を否定する」「結婚を批判する」という人もたくさんいた。あるいは、「結婚とはまったく違う、新しい価値観を提示する」という方法だってあった。もちろん、否定してもいいし、批判してもいい。新しい価値観を探ることだって、素晴らしい。

 ただ、能町さんは、ちょっと違うところから、「結婚」に挑んでいる。世間を否定しない。自分に埋没するのでもない。真正面から社会を変えようとするのでもなく、孤独に浸るのでもなく、とりあえず、生き抜いている。その感じがすごくいい(いや、言うまでもないが、怒って社会を変えていく人だって必要だし、孤独に浸る時間だって大事だ。能町さんがそうではないのが、なんだか眩しい、という話だ)。・・・

 能町さんは本書に『結婚の奴』というタイトルを付けている。「奴」ってなんだろうか。ともかくも、世間で使われがちな文脈とはちょっと違う文脈で「結婚」を使ってやろう、という心意気が最初から感じられた。・・・