幸せ

なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない

 特別なことのない日常が、何よりも幸せだなと思います。

 

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 ・・・今日は朝から絶不調で全く起き上がれなかった。鬱というわけでもないのだけれど、根本から力が出ない。ベッドから出られない。ご飯も作れないので、隣の部屋にいる息子に「動けないから、自分でなんか作って食べて」とSMSを送った。眠いわけじゃないし、目は覚めているのだけれど、気力というものが出ない。

 エッセイの締め切り日なのだけれど、書くことさえ思いつかない。毎日、起きたら日記を書くのが日課なのだけれど、本当に珍しいことに、何を書いていいのか分からない。どうしていいのか分からないのだ。だからといって、誰にも励まされたくはない。相談したくもない。こういう時は何も考えちゃいけないと思って横になっていたのだけれど、何も楽しいことはない、自分はもう若くない、あの頃にはもう戻れないんだ、とか悲観的なことばかり考えてしまう、なんだか、よくない方へずるずると引き込まれていく。なんだ、この負のエネルギー。とにかく自分らしくないのである。

「今、あなたは人生が楽しいですか?」

 と、どこからか声が聞こえてきた。ぼくは仰向けになり、天井を見上げた。窓から差し込む光が天井を彩っていた。ぼくはいったい何が楽しいのだろう、と思った。ぼくの喜びは何だろう、と自問をした。すぐには思いつかなかった。・・・自分は今、幸せじゃないのかもしれない、と気がついた。そうだ、それだ、と思った。人のことばかり励ましてきたけれど、自分はどうなんだ、と思った。

 ・・・

 夕方、息子がドアをノックしてきた。

「パパ、晴れてるから、散歩でもしたら?」

 少し、身体が動くようになったので、確かに快晴だし、息子の言う通り、外出しようと思った。少しずつ、我が街もロックダウン以前の活気を取り戻しつつあった。閉まっていた店もほとんどが再開を果たしていた。3ヶ月ぶりにクリストフの店が開いているのを発見した。おおと思った。ロックダウンになる前まで、ぼくはとにかくクリストフの店で毎朝コーヒーを飲むのが日課だった。クリストフは日本で働いた経験もあり、ちょっとだけ日本語を話す。「お元気ですか?」「美味しいですか?」「あなたのお名前はなんていいますか?」。3月17日以降、ずっと会っていなかった。あの日、不意に世界が閉じたので、連絡先も知らないし、音沙汰もなかった。近寄り、中を覗くと、カウンターの中で働くクリストフがいた。ああ、懐かしい。すると、クリストフがぼくに気がついた。次の瞬間、満面の笑みを浮かべ、

「お元気でしたか~」

 と日本語で叫び声を張り上げた。お客さんが一斉にぼくを振り返った。そして、クリストフがカウンターの中から飛び出してきたのである。まだみんな社会的距離を取らないとならない時期だというのに、彼は僕の肩を叩いて、手を差し出した。ぼくもその手を握りしめていた。涙が溢れそうになったけれど、ぐっと我慢をした。

「おめでとう、待ってたよ」

 とぼくは言った。

「嬉しいな、また会えて、嬉しいな。僕は嬉しいんだ。ここに戻って来れて。またみんなのためにコーヒーを淹れたり、料理を運んだり出来ることが」

 クリストフが笑顔で、本当に満面の笑みで、今、こうして、ここにいて、仕事が出来ることを喜んでいると力説し始めた。3ヶ月、家で息子と漫画ばかり読んでいた、と彼は言った。最初はロックダウンもよかったけれど、働かないでも国から補償して貰えたし。でも、そうじゃないんだ、そうじゃなかった、と彼はもう一度はっきりと言った。

「こうやって、働いて、大変でも、きつくても、食事をサーブして、皿を洗って、みんなと天気のことやスポーツの話をして、終わったらビールを飲んで、常連のあなたたちとこうやって握手をして、そういうことが自分の幸福だったことに気がつくことが出来たんですよ」

 ぼくは瞬きさえ出来なかった。目を見開き、この男を見つめた。今、クリストフが喋っていることが、ぼくが探し求めていた答えだったからだ。そこで、ぼくは小さな声で彼に訊いてみた。

「今、あなたは人生が楽しいですか?」

 クリストフはきょとんとした顔をして、ぼくの肩をバンバンと叩いたのである。

「ああ、今が最高だよ、人生が楽しい。僕は今、人生が楽しくてしょうがないだ」

 クリストフに肩を抱きしめられて、店の中へ入り、常連たちの真ん中でビールを飲んだ。とっても美味しいビールだった。クリストフがいて、オーナーのジャン・フランソワがいて、給仕のステファニーがいて、名前は知らないけれど、この辺の常連たちがいて、そこにぼくの場所もあって。そうだ、その時、ぼくは幸せだった。