タイトルを見て、そういえば、いつからそういうことを考えなくなったんだっけ?と逆に思いました・・・ヘミシンクを始めてからなのは確かですが・・・。
辻仁成さんがコロナ禍で綴った文章、息子さんの言葉が印象に残りました。
P216
・・・ここのところ書き物の仕事が立て込んでいて、毎晩4時に寝ているので昼食後、睡魔に襲われた。・・・息子に食事を与えたら疲れが押し寄せ、ちょっと昼寝するね、と言い残してベッドに潜り込んだ。・・・そしたら、少しして、不意に耳元の携帯が鳴った。
「パパ」
「誰?」
「僕」
これは夢だろう、と思った。息子から電話って、だいたい、おかしい。家の中なのに。
「パパ、大変なことになった」
「何が大変?」
「だって、天井が剝がれ落ちたんだ」
窓の向こうに光が溢れていた。いい天気である。天井が剥がれ落ちるだと、面白い夢じゃないか、と思いながらぼくは半身を起こし、やれやれ、と左手で顔を拭った。右手が携帯を握りしめている。あれ、夢じゃないの?
「もしもし?」
「パパ、天井が剝がれ落ちたから、危ないので、部屋から出られないよ」
ぼくは起き上がり、寝室のドアを睨んだ。仕方なく、スリッパに足を突っ込み、廊下に出た。息子が子供部屋の中から玄関の上を指さしている。
「NOッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
ぼくは驚き、その下まで走った。崩落しているわけではないが、天井面が剥がれて落下していた。水漏れで動かなくなった給湯器が直ったばかりなのに、なんてこった。水漏れのせいで天井に水が染みて、脆くなってしまっていたのである。
ぼくはまず写真を撮り、応対の悪い管理会社の二コラさんに「こんなことになりましたよ」とメールを送り付けることになる。3ヶ所の水漏れのせいで停電、天井が剝がれ落ち、給湯器の故障、キッチンの換気扇まで不具合が続出している。まもなく二コラから返事が戻ってきた。
「あなたは呪われていますね」
な、なんだぁ、この返事ィ。
なんて奴だ、と思ったが、確かに呪われている。パリで子供を育てなきゃならない運命で、シングルファーザーで、コロナで、ロックダウンで、天井が剝がれ落ちているのだから、ここまで酷い人生はない。もしかするとこの後、崩落が待っているかもしれない。
「パパ、でも、パパはまだ大丈夫だよ。よく考えてみて、もっと大変な思いをしている方々が世の中には大勢いる。こんなの大したことじゃない。これをエッセイとかに書いたらいいよ。笑えるように」
「は?」
「僕は思うんだけれど、こういうことをシリアスに伝えるのじゃなくてね、ユーモラスに書いてみたらいいんだ。それがポップということだよ。とっても大事なことじゃない?みんなが、むしゃくしゃするこの時代に、天井が剝がれ落ちたってそのまま書いて何になるの?共感なんか得られないでしょ。それはポップじゃない。ポップとは共感なんだ。みんな一緒じゃんっていう共有なんだよ。なんで僕が音楽をやっているかって言うとね、みんなに心地よさを届けたいんだ。一緒に幸せになるために、でしょ?それが音楽の役割だから。物書きも一緒だよ。こういう時代だからこそ、ギスギスしたら負けちゃう。パパはあの天井の穴を笑いに変えなきゃ」
「はぁ?」
「いいじゃん、天井が落ちたことくらいで済んだ。僕はどこでも生きていけるよ。掃除機を持って来るから、一緒に片付けよう。管理会社や大家を怒鳴っても、今は、しょうがない。ここを選んだのはパパだし、運命だし、一緒に片付けながら笑いに変えようよ。呪われた辻家って、タイトル、面白いじゃん。みんなマスクもないし、お金だってない。コロナが怖いし、家から出られないし、出たくないし。でも、この程度のことに人生を奪われたら損じゃない。だから笑いに変えるんだ。見てよ、あの天井、笑えるでしょ?」
ぼくは泣きそうだった。こいつがいてくれて、よかった。そう思ったら、そこに救いがあった。確かにそうだ。みんな頑張っている。笑いに変えなきゃ。でも、どうやって?ぼくらは掃除機で剝がれ落ちた破片を吸い込んだ。そこから二コラに返事を書いた。
「これはコメディだと思うよ。一緒に笑おうじゃないか。もしもぼくが寝ている間に天井が崩落して下敷きになったら、あなたが後悔しないことだけを祈っているよ」