見方を変えるとどちらとも取れる、おもしろいです。
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夏目漱石は、代表作『吾輩は猫である』の中で、神の全知全能を認めざるを得ない理由を猫に語らせています。
それは人の顔が一人ひとり違っていることです。大きさも似たりよったりの簡単な材料で、よくもあれだけ違う顔がつくれるものだと、神の技量に感心しているわけです。
その一方で、漱石は、猫の立場から、神の無能力を証明できるとも言っています。すなわち、同じものをつくるほうがよほど難しいのであって、どれもこれも違う顔になってしまったのは、神が同じ顔にしようと思って失敗したのかもしれないと言っているのです。
神が無能かどうかはともかくとして、一人として同じ顔の人がいないことは確かです。遺伝子の場合も、これと同じことが言えます。
この世の中に、一人として同じ遺伝子の人間はいません。つまり、人は並列に並べられるものであって、優劣をつけて人をタテ並びにすることはできないということです。
そういう意味で、「人はみんなが優れた能力を持っている」という言い方は、自分はダメ人間だと思っている人への慰めの言葉ではなく、事実なのです。