能力は人のため

悪魔とのおしゃべり

誰かがいるから発揮される能力。全てが他人のためにある・・・なんかそう聞くと清々しい気持ちになりました。

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悪魔 世界中にもしも貴様1人しかいなかったら、「能力」はどうやって使う?

みつろう 使えないよね。「能力」には、「行使する者」と「行使される者」が必要なんだから。
 人は、1人では優しくなれない。

悪魔 そうだ。「優しさ」という能力は、「優しくされる人」と「優しくする人」がいて初めて行使できる。全ての「能力」が、そうだ。歌唱力も、腕力も、背の高さも、器用な手先も。1人では、その能力が行使できない。
 要するに人間の「能力」とは全てが、他人のためにあるのさ。
 宇宙から分離した「違うI=わたし」へ行使するために、「このわたし=I」が宇宙に持たされたパワーが「能力」なのだからな。

みつろう なるほど。「1つ」だと何もできなかったわけだから、そうなるね。
「わたし」のそもそもの発生理由は、「孫の手」として使われることにある。

悪魔 「わたし」はただの、宇宙の孫の手。〔宇宙が始まった仕組み〕を明確に理解できた者から、そこに気づき始める。
「わたし」とは、そもそも「誰か他人」のために発生した存在体だったのかと。ということは、私が持たされている他の人より優れた「能力」とは、世界のために使うモノだ、と悟る。
 そして、それに気づいた者は、とてつもないパワーを発揮する。
 モーツァルトがそうだった。
 夏目漱石がそうだった。
 発明王トーマス・エジソンがそうだった。
 彼らは、「わたし」とは「だれか」のためにある道具だと言った。

みつろう でも、「能力」が「他人(違うI)」のためなら、「このわたし=I」はどうやって生きていくの?

悪魔 鏡は、全てが真逆の性質になる。「せかい」のために「あなた」が何かをすれば、「せかい」が「あなた」のために何かをし始めるのさ。